なぜあんな奴が生きているのだろう?とすら思うほど、大嫌いな人間がいます。
その一方で、ずっと幸せでいてほしいと思うほど、大好きな人間がいます。
もしもそんな二人が崖から落ちそうになっていたら、私は迷わず大好きな人間だけを引き上げるでしょう。
でもきっと城戸真司(きどしんじ)なら、どちらも助けてしまうのだと思います。
龍騎という作品について
ところで、「戦わなければ生き残れない」というフレーズを聞いたことがありませんか?
これは龍騎のキャッチコピーなのですが、まさにこの作品は正義VS正義の戦いを描いたものだと思います。
二つの正義が戦った場合、一体どちらの正義を信じればいいのでしょうか?
この映画は、TVシリーズ最終回の先行公開として、TV放映中に上映された作品です。
しかし結論から言うと、この映画はTVシリーズの最終回と全く違うラストになりました。
なぜならこの映画は、龍騎という物語の「無数の選択肢の中の一つ」に過ぎないからです。
ちなみにTVシリーズの28話放送後にこの映画は公開されたので、仮面ライダー龍騎を1話も見たことがない方は、ぜひそこまで見てから映画を観てください。
この映画は、単体では全く意味を成さない映画です。
TVシリーズ全話と、TVスペシャル版を見てようやく、この映画の持つ意味がわかるのだと思います。なので私は、この映画作品だけを評価することはできません。
また、映画には劇場公開版とディレクターズカット版の2種類が存在しますが、より深く物語を理解したいのならディレクターズカット版を見る必要があります。
劇場公開時にカットされていた約20分間の映像が収録されているので、ディレクターズカット版を見ないと若干キャラクターの心情が分かりづらくなっています。
そんな取っ付きにくい作品ですが、しかしそれでも改めて映画のことを考えた時、とても素晴らしい作品だったと思います。
それはこの映画が、『仮面ライダー龍騎』という大きな物語を理解する上で、重要なピースの一つになるからです。
神崎士郎の願い
仮面ライダー龍騎は、城戸真司(きどしんじ)という男が主人公の物語です。
しかしこの映画を観ると、仮面ライダー龍騎は神崎士郎(かんざきしろう)という一人の男の願いを描いた物語なんだと気付かされます。
士郎は、妹を救うために何度も時間を巻き戻し、自らが生み出したライダーシステムにより13人の仮面ライダー達を戦わせていました。
では、神崎士郎とは一体どういう男なのでしょうか?
士郎は、妹の優衣(ゆい)のためだけに何度も時間を戻して、彼女が助かる道を探し続けていました。
沢山の人々を犠牲にしてでも、自分がミラーワールドに囚われてしまっても、何度も優衣を助けようとします。
「あたしがいじめられると、いつもいつも助けてくれた」
「俺はいつでも、お前を助ける。これからも、ずっと」
妹を救いたいという純粋な願いを持った男。それが神崎士郎という人間です。
しかし龍騎には、そんな士郎と同じように、「何かを犠牲にしてでも自分の願いを叶えたい」者達が登場します。
ライダー達の願い
この映画に出てくる重要なキャラクターに、霧島美穂(きりしまみほ)という女性がいます。
彼女もまた、仮面ライダーファムとしてライダー同士の戦いに身を投じ、自らの願いを叶えようとします。
仮面ライダー王蛇である浅倉威(あさくらたけし)に姉を奪われた美穂は、亡くなってしまった姉の命を取り戻すため、そして仇を取るためにライダーになります。
ですが正直、美穂に関しては、いきなり出てきて亡くなってしまった人間という印象が強かったです。
なのでディレクターズカット版や、DVD特典の監督によるオーディオコメンタリーも併せて観ないと、霧島美穂についての感情が読み取れないまま終わってしまいます。
それらを観ることで初めて、美穂という人間が、とても魅力的に映ります。
美穂は、表情や行動などの少ない要素から読み取ってようやく、どんな人物なのかを想像することができます。
男言葉を使うのは、きっと姉のためにも強くあらねばならないと願っているのかな、とか。
もしかしたらお姉さんは真司と似ていて、しっかり者の美穂には真司が懐かしく見えたのかな、とか。
「ごめんね、お姉ちゃん……」
美穂の最期の言葉には、たくさんの意味が込められているように思います。
そしてもちろん美穂以外にも、恋人を救いたいと願う者や、戦いを楽しみたいという願う者や、自身の不治の病を治したいと願う者がいます。
それぞれが願いを持ちながら、それを叶えるために戦っています。
しかし龍騎の物語では、このように一人一人のバックボーンがしっかりと語られることは、あまりないです。
願いを持たない城戸真司
よく考えると、生きている人間は誰だって、他人がどんな人物なのかを正確には分からないと思います。
なので表情や言動から、「こう思っているんだろうな」と推測することしかできません。
しかしその中でも、主人公である城戸真司だけは別です。
彼は分かり易すぎるほど、言動に違和感がないのです。
真司はよく、バカだと他のキャラクターから言われます。今回の映画でも、TVシリーズでも沢山の人に騙されて利用されていたのに、懲りずに美穂にも騙されていました。
真司はことごとく、人の地雷をぶち抜いて怒らせる天才です。そしてこの映画でも、見事にその才能を発揮しています。
「最悪だな、お前!」
「何だよ……だから何だよ!あたしは勝たなくちゃいけないんだよ。どんな汚い手を使ったって、勝たなくちゃいけないんだ!」
そして真司は、そう言い残して去っていく美穂を、切り捨てることはできないのです。
「あの女、やっぱり根は悪い奴じゃないんだな」
これが、「城戸真司」という男を象徴するセリフなんだと、私は思います。
この物語の中で、真司だけが戦うための明確な願いを持っていません。
だからこそ真司は、どこまでも人間というものを信じているのでしょう。
だからこそ、仮面ライダーだろうが、どんなに嫌いな奴だろうが、人間を助けたいと願うのです。
「あ、それからさ。もうやめような、ライダー同士の戦いは」
「……うん。考えとく」
だから私は、真司のことを嫌いになれません。むしろ好きです。
もしかしたら美穂も、私と同じ気持ちだったのかもしれないなと思います。
願いを持たない者が、願いを持つものを必死で止めようとしてくる。
願いを持つ者からすると、どう考えても邪魔だし、浮いてるし、やめて欲しいですよね。
それなのにどうしても、真司のことが憎めないのです。
「もうお前には騙されない。優衣ちゃんはそんなこと望んでないんだ。他人の命なんていらないんだよ!それが……優衣ちゃんの選択なんだ」
この映画の中で真司は、優衣の「他人の命で生きたくない」と思う気持ちを尊重しました。
だとすると、士郎の意志はどうなるのでしょうか?
自分の願いを叶えるためには、誰かの願いは叶えられません。だからみんな、戦うのです。
たとえ自分以外の誰かが、自分が一番救いたい者が傷ついたとしても、願いを曲げることはできません。
龍騎の物語を見終えて思うことは、自分の生き方は本当に正しいのか?ということです。
この年になって、自分の根幹を揺さぶられると、どうしようもなく苦しくなります。
真司という存在は、ライダー達や士郎にとって、アイデンティティーや生きる意味を否定されることそのものです。なぜなら戦う理由は、自分自身の存在する意味なのだから。
真司を見ていると、好きだけど無性に、どうしようもなく辛くなります。
だからみんな、真司に真っ直ぐに向かって来られると、怒るのかもしれません。
いきなり現れて、自分の邪魔をして、図星を突いてきて、そのくせ「戦いをやめろ」なんて綺麗事を抜かして。
でも何度裏切っても、何度騙しても、何度突き放しても、真司はみんなを信じ続けます。
真司の存在は、目を背けてしまいたくなるほど、眩しすぎるのです。
みんなの願いと正義
「だが、わかってくれ。俺は勝たなければならない。どんなに可能性が少なくても、俺は賭けなければならないんだ。……戦ってくれ、俺と」
好きだからこそ、尊重しているからこそ、最後に真司と戦いたいと願う秋山蓮(あきやまれん)という男。
二人のライダーの願いは、決して交わることはありません。だからそれぞれの願いを叶えるためには、戦わなければならない。
そして敵の大群に突っ込んでいく二人のカットで、この物語は終わります。彼らは最後まで、自分の信じるもののために戦ったのです。
それじゃあ、私はどうやって生きればいいんだろう?
真司と蓮は、たくさん迷って、たくさん悩んだ末に、それでも自分の願いを貫くことを選びました。
彼らが教えてくれたことは、自分の信じる道を進むしかないということです。
きっと私は、一生他の誰かに変わることなんてできないのだ。
真司や蓮のことを、美穂のことを、優衣や士郎のことを、ライダーのみんなのことを、色んな人のことを考えながら、私はこれからも生きていくのだろうと思います。
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