『砂の器』という名前は聞いたことがあるけど、観たことはないという人は多いかと思います。
ただのミステリー映画なのに、なぜこの作品は現代まで支持され続けているのか?
今回は、この『砂の器』の映画を初めて観た感想を書いてみます。
生まれる前の映画を観るということ
『砂の器』は、「親子の話」ということと「何度もリメイクされるほど有名な作品」ということしか知りませんでした。
そんな状態で、たまたまプライムビデオにあった1974年に公開された映画を観てみました。
1974年というと今からもう45年前の映画で、原作に至っては約60年前のものです。
正直言って古い作品に対しては、難解で退屈なイメージがあります。
私は20代後半なのですが、例えば教科書に載っている古典や純文学は、漫画やアニメなどと比べると単調に思えてしまいます。
だからこの映画も序盤は淡々としているように感じて、「何がそんなに面白いのだろう?」と思っていました。
ある刑事が、とある事件についての真相を探る。
文字にするとあまりにも単純で拍子抜けしますが、内容はたったこれだけです。
映画の尺は約2時間ですが、その前半の1時間はずっと捜査が続きます。
話が大きく動くのは後半の1時間を切ってからですが、それでもある病気についての理解がないと物語を理解することは難しいです。
私はその知識をあまり持っていなかったので、最後に唐突に出てくる劇中のテロップで初めてそれを理解しました。
ハンセン氏病は医学の進歩で
特効薬もあって
現在では完全に回復し
社会復帰が続いているそれをこばむものは
まだ根強く残っている
非科学的な偏見と差別のみで本浦千代吉のような患者は
もうどこにもいない
ああ、あのお父さんはハンセン病だったんだ……
そのテロップが流れるまで、私は犯人の動機がちっとも分からなかったのです。
犯人の動機について
犯人は、音楽家の和賀(わが)という男です。
しかし未来を約束された天才音楽家の和賀には、暗い過去がありました。
幼い頃に父がハンセン病にかかり、差別から逃げるようにして親子は放浪の旅を続けていたのです。
そこに言葉はなく、ただ映像と音楽のみが流れるシーンで、それらは語られます。
事件を捜査し続けていた刑事の今西(いまにし)は、こう言います。
この親と子がどのような旅を続けたのか。
私はただ想像するだけで、それはこの二人にしかわかりません。
それは、私たち視聴者にとっても同じことなのではないでしょうか?
親子の間にどんな物語があったのかなんて、その親子にしか分かるはずがないのです。
今西のように、世間でどんな事件が起きたって、私たちに分かるのはごくわずかな証拠の断片のみです。
和賀の動機がいまいちピンとこないのも、そのせいなのかなと思います。
どれだけ言葉にしたって、当事者にしかわからない苦しみがある。
その苦しみの断片を感じることができるのが、どうしても「子どもを産みたい」と願う愛人に、和賀が徹底して「子どもを産むな」と冷酷に伝えるシーンです。
「駄目だ。子どもだけは絶対に産むな」
「あたしが一人で産んで、一人で育てる」
「その子どもには父親がいないんだぞ」
「でもあなたよりは幸せだわ!」
「……幸せ?」
父親がいない悲しみ、奪われた辛さ、憎しみ、苦しみ、怒り。
それらを糧にして、和賀は作品を作っていたような気がします。
だから和賀は、自分と父の仲を引き裂いた男である三木(みき)を手にかけたのではないでしょうか?
なぜなら彼は、三木に幸せを奪われたも同然なのだから。
三木は持ち前の正義感の強さから、子供時代の和賀と父親を引き離します。
病気が移るといけないからと、子どもの未来のためだと、三木は父親に諭すのです。
しかし父を愛していたからこそ、親子の幸せを奪った三木を恨んだのではないかと私は思います。
秀夫は今どこにいるんだ。死ぬまでに会いたい。一目だけでもいいから会いたい。
三木に宛てた手紙に、父はこう書き綴ります。
父はどうしても、息子に会いたかった。
でも息子は、父に会うことよりも父を奪われた悲しみの方が勝ったのかもしれません。
なぜ砂の器というタイトルなのか?
子どもが一生懸命に作っても、あっけなく崩れてしまう砂でできた器。
このシーンは、作中で象徴的な場面として数回ほど映ります。
しかし──
旅の形はどのように変っても
親と子の“宿命”だけは永遠のものである
この作品が伝えたいのは事件の真相でも、病気についての理解を深めることでもなく、あくまで親子の宿命なのだと思います。
ではなぜ、この作品のタイトルは『宿命』ではなく『砂の器』なのでしょうか?
いつまでもそのままの形ではいられない、儚く脆い砂の器。
もしかするとそんな砂の器を、あの親子に見立てているのかなと思いました。
「今西さん。和賀は父親に会いたかったんでしょうね?」
「そんなことは決まっとる。今彼は父親に会ってる。彼にはもう音楽、音楽の中でしか父親に会えないんだ」
失われてしまった子供時代の親子関係をなぞるように、和賀はただピアノを演奏することしかできません。
現在の父親とは会えても、和賀はもう子供時代の父親とは、崩れてしまった砂の器のように二度と会えないのです。
だからこそ、そうなってしまったのは三木のせいだと、和賀は憎んだのかもしれません。
そして和賀は、最後に『宿命』が完成したことを満面の笑みで喜んだのです。
父が病気になり離れ離れになったのも宿命。そんな過去を知る三木と再会したのもまた宿命。彼が作った曲のタイトルもまた、『宿命』です。
和賀が三木を手にかけることで、『宿命』は完成しました。恐らく彼はもう曲を作らないし、作れないのでしょう。
そうすることで、ようやく彼は父の元へと帰れたのかもしれません。きっと、たくさんのことから解放されたのです。
序盤は展開が遅く感じますが、後半になると盛り上がります。劇中歌の『宿命』はとても良い曲です。
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