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タイパとコスパで失ったもの。児童書『モモ』ネタバレ感想

何をしていても時間の無駄に思えたり、得ができるかどうかばかり考えてはいませんか?

ここ最近でタイパコスパという言葉を一度も耳にしたことがないという人は、ほとんどいないのではないかと思います。

特にタイパは、2022年の新語・流行語大賞で1位にも選ばれました。ちなみにタイパはタイムパフォーマンス、コスパはコストパフォーマンスの略です。


つまり現在では、大多数の人が「効率的な生き方」を重視しているということです。


でも実は、約50年前にその未来を予見していた人がいます。それは児童文学作家のミヒャエル・エンデです。

映画『ネバーエンディングストーリー』の原作者と言うと、知っている方も多いのではないかと思います。



今回はそのミヒャエル・エンデの代表作である『モモ』を、大人になってから初めて読んだ感想を書きたいと思います。

モモと時間泥棒


この小説は浮浪児の少女モモが、郊外にある廃墟化した円形劇場に住み着くところから始まります。

モモは汚い身なりをしていますが町の人達から愛されていたので、みんなで面倒を見ていました。なぜかというとモモは「人の話をよく聞いてくれる」からです。

別にモモは、その代わりに誰からもお金も貰いません。ただ寄り添ってじっと話相手の顔を見て、言葉が終わるまで黙って耳を傾けてくれるのです。

町の人もモモが話を聞いてくれたからと言って、お金を渡したりしません。ただ優しいモモという友達のために少しだけ食べ物を分け与えたり、彼女が住むための円形劇場を修理してくれるのです。


もしこれが現代なら、きっとその役目は政府や行政の社会保障だったり、お金を貰うことで成り立っているサービス業が肩代わりしているのだと思います。


とにかくこの街ではみんな、時間泥棒が現れるまでそういう暮らしをしていました。突然現れたその時間泥棒はとても機械的で、「灰色の男」と呼ばれています。

そして灰色の男たちは、町の人々に時間貯蓄を勧めます。つまり時間貯蓄をすると時間を効率的に使えるのです。

時間を貯蓄するようになった「時間貯蓄家」たちは毎日の余裕がなくなり、表情からは笑顔も消え、せかせかと一生懸命に働くようになります。

すると忙しくなってしまった町の人は、少しずつモモの元に現れなくなってしまうのです。

「灰色の男」と「時間貯蓄家」


ここまで聞くと、まるで灰色の男や時間貯蓄家たちは現代人のように思えます。

SNSは新情報に溢れ、街中には流行りものと新商品があり余っている。それらを得るために休みなく長時間働いて、眠り、また働きに出かけていく毎日。


だからこそ、自分は灰色の男や時間貯蓄家かもしれないなと思います。


現代人は仕事中は灰色の男になり、日常では時間貯蓄家になるのです。

モモの友達


モモには特に親しい友達が二人います。それは道路掃除夫の老人ベッポと、観光案内の青年ジジです。

ベッポは掃除も遅いし話し方もゆっくりですが、とても丁寧な仕事をするし自分の気持ちをしっかりと伝えてくれます。

ジジはいつもデタラメな話をして観光客からチップを貰いますが、聞かせてくれる物語は壮大でとても感動的です。

ジジの贅沢な時間


私が物語の中で一番好きなのはジジなのですが、彼が出てくるところで特に好きなシーンがあります。

それは、ジジがモモだけのためにおとぎ話をしてくれたシーンです。

「ねえ、お話をして。」

「いいよ。だれの話にしようか?」

「モモとジロラモのお話がいちばんいいわ。」


ジロラモというのはジジのことです。

ジジは観光客のために話をしていましたが、モモと二人でいる時だけは特別なおとぎ話をしてくれたのです。

私はこのおとぎ話を聞いた時、胸がいっぱいになって泣いてしまいました。


なんて贅沢で、なんて素敵な時間の使い方だろうと思いました。


もちろんこのお話は無料です。でも、そこには決してお金では計り知れない愛情があります。

ジジはいつもお金のために話をしています。でもモモのためには無償で話をするのです。

月はくろぐろとした松林のうえで大きく銀色にかがやき、廃墟の古い石段をあやしく光らせました。モモとジジは静かにならんで、長いあいだじっと月を見つめました。


たっぷりと時間を使って話をした後、モモとジジは夜空を見上げます。そう、現代ではこんな時間さえ贅沢なのです。

「無償の愛」と「有償の愛」


ところで私は最近、『いるのはつらいよ』という本を読みました。デイケアに勤めるカウンセラーの話です。



この本を読んで、ケアとはただ傍にいること、そして寄り添うことなんだと思いました。


それはモモが自然とやっていたことですが、現代ではお金を払わないと受けられないケアは贅沢品です。


お金で繋がっている世界では、何かを対価として支払わなければ誰も私に何もしてくれません。

きっとジジも、私のためだけに特別なお話はしてくれないでしょう。

自分を切り売りすること


この小説で本当に悲しかったのは、モモの友達たちが時間泥棒に蝕まれていくところです。

灰色の男達のせいでベッポは一心不乱にほうきを掃き続けるし、ジジはお金のために適当なホラ話をするようになります。

私は特に、ジジがモモのためのお話をみんなにしてしまうところが本当に本当に悲しかったです。

有名な売れっ子作家になったジジはどうしてもネタがなくなり、テレビやラジオであのおとぎ話をしてしまいます。


忙しくなったジジはあんなにあったお話のアイデアも枯れ、ツギハギで過去のお話を脚色して繰り返し、とうとう一番大事なものまで失ってしまったのです。


もちろん納得さえしていれば、自分を切り売りしても良いとは思います。

でもジジはそれをとても後悔していたし、モモもそんな彼を見るのは辛そうでした。

親の人質は「子ども」


一方で、ベッポは子どもを育てなければならない親そのものだと思いました。

灰色の男たちにモモを攫われてしまったと勘違いしたベッポは、彼女のために10万時間を貯蓄しなければならなくなります。

モモを人質に取られてせかせかと働き続けるベッポは、こう考えます。

こういう働き方をすることで、彼はじぶんの心のそこからの信念を、いやこれまでの生き方ぜんぶを、否定し、裏切ったのです。それを考えると、彼はじぶんのしていることがたまらなくいやで、吐き気がしそうでした。

(中略)

でもこれはモモのためなのです。モモの身代金をはらわなくてはならないのです。


私はこれを読んで、共働きで忙しかった自分の両親のことを思い出しました。子どもの頃は保育園に預けられ、学童で遊び、よく留守番をしていました。

作中でトランジスターラジオを買い与えられた子どものように、私はオモチャや漫画やゲームをたくさん買い与えられました。

そのおかげで大人になった今でも趣味が多く、たくさんの作品にも触れることができていい思いもしました。


でもそれなのに、たくさんものに囲まれてるはずなのに、いつも何かが満たされなかったような気がします。


だから今もこうして、常に何かに触れていなければ落ち着かないのかもしれません。

でも、私にはそのことで両親やベッポを責めることができません。なぜならそこにはがあると信じているからです。

だからこそ、親にとって子どもは人質なのです。

どうやって今を生きるか


物語の最後に、モモは灰色の男たちから時間を取り返します。そうすると町の人たちには余裕が戻り、またみんなはモモと楽しい時間を過ごすようになります。


でも現実にはモモはいないし、失われた時間も取り返せません。


それでも私たち何かできることがあるとするなら、ベッポのように丁寧な仕事をしたり、ジジのように自分の力で周りの人を楽しませたり、モモのように人の話を聞くことくらいです。

でもたったそれだけのことが、今の時代は本当にすごく難しいのです。でもこれは50年前に書かれたものなので、もしかしたらいつの時代にもずっと難しいことなのかもしれません。


私はモモのように、いつまでも優しい心を持ち続けられるだろうか?自分や他人を大事にしながら、これからもこの世界を生きていけるだろうか?


この気持ちを忘れないように、本棚の目に付くところに『モモ』をしまっておきたいです。




久しぶりに児童書を読んだけど面白かったな。『ネバーエンディングストーリー』の原作のはてしない物語 上 (岩波少年文庫)も買ったので今度読みます!


愛蔵版の表紙すごく綺麗ですね。贈呈用などちょっと特別なプレゼントにぴったりだと思います。

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