私がこのゲームのことを知ったのは、もう10年以上も前のことです。
休み時間に友人が、いきなりこう言いました。「さよならを教えてが頭の中でループして離れない」と。
家に帰ってすぐに、友人から借りたI'veの『OUT FLOW』というアルバムを取り出し、プレーヤーにかけて聴きます。
重く始まるイントロのその曲は、ゲームと同じ『さよならを教えて』というタイトル。
それは当時の私にとって、あまりにも衝撃的な歌詞でした。
鬱と、狂気と、電波と
それからゲームについてを調べると、どうやらプレミアが付いているらしいとのこと。さらに当時私は高校生だったので、ゲームをプレイすることもできません。
しかし大人になって、あそBDで再販することが決まりました。発売日にワクワクしながらゲームショップに行き、夢中になってプレイしました。
ゲームの舞台は決まっていつも、黄昏時の校舎の中です。気怠げなBGM、陰鬱な文章、徐々に周囲と自分が狂っていく演出、どこかおかしいけれど美しい少女たちのイラスト、そして永遠の夕暮れ時に包まれた空間……
主人公である人見は、教育実習生としてこの学校にやってきました。一面のオレンジ色の教室の中で、彼は生徒たちと日々邂逅します。
その中でも、彼が天使と呼んでいる睦月(むつき)は、特別な存在です。毎晩彼の夢の中では、天使の姿をした睦月が、怪物に襲われているのです。
それでも彼は、足繁く彼女がいる教室に足を運びます。 しかし繰り返される日々は、やがて突然終わりを迎えます。
睦月は彼に、もうすぐ天に帰るのだと告げるのです。
お察しの通り、人見は精神を患っています。さらに睦月は彼と同じくこの病院の患者で、じきに退院するのです。オレンジ色の校舎は、本当は真っ白な壁に囲まれた精神病院なのでした。
人見広介という男について
「さよならを教えて」は、人見広介(ひとみひろすけ)の内面の葛藤と、その結末を描いた物語だと私は思います。
このゲームを、ただの狂った男の妄想だと片付けるのは、あまりにも簡単です。なので私は、人見広介という人間について考えます。
彼はなぜ、こうなってしまったのだろうかと。
彼は教師を目指していましたが、受験に失敗し、心を閉ざしてしまいます。そして自分のことを、教育実習生だと思い込むようになったのです。
教師になりたい。僕はどうしても教師にならなければいけない。でも、僕は教師になれなかった。いや、僕は教師になれるのだ。そう、僕は教育実習生なのだから……
そんな彼のことを、どうして狂人だと笑うことができるのでしょうか。私には、そんなことはできませんでした。
彼は最後に、教育実習生であることから、さよならを告げます。しかしそれは同時に、研修医としての新しい日々の始まりに過ぎません。
彼はきっと、自分を受け入れることができないのではないでしょうか。
彼の生きる意味
意味がないのは嫌だ、と彼は言います。教師になれない僕には価値なんてない。じゃあ一体、僕の価値って何なんだ?
自身の矛盾する思想に、彼は苦しめられます。だから、さよならできない。それは同時に、彼の存在する意味をなくしてしまうのだから……
なんだか、書いてて悲しくなってきました。自分のことを認められない不器用な彼が、唯一自分の存在意義を見いだせる空間。それがあの、オレンジ色の教室だったのだから。
どうか早く、誰か彼を救ってあげてください。でも、誰よりも彼自身が、一番こう思っているのかもしれません。
「天使様、どうか僕にさよならをする方法を教えてください」と。