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ジョエルを愛したあなたへ。PS4『ラストオブアス2』ネタバレ感想

私がこのゲームをプレイしてまず思った感想は、「よくもこんな物語を作ってくれたな!」という怒りでした。

だから私はこのゲームをすぐクリアできずに、数ヶ月ほど置いていました。物語のエンディングを見届けるのが怖くて、この作品を「なかったこと」にしようとしていたのです。

今回は、そんな私がようやくこのゲームを最後までクリアして、この物語に対して改めて思ったことを書きたいと思います。

前作について


前作の『ラストオブアス』をクリアした時は、衝撃的でした。この世界には、こんなに面白いゲームがあるのかと思ったのです。


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『ラストオブアス2』は、そんな『ラストオブアス』の5年後の世界を描いた続編です。なのでプレイヤーのほとんどは、前作をプレイしていることが前提です。

前作では主人公のジョエルと、彼と一緒に旅をしていた少女のエリーに物語の焦点が当てられていました。二人はすれ違いながらも、やがて心を通わせ合い、最後に「ソルトレイクの病院」へと辿り着きます。

二人の旅の目的は、世界中に蔓延した未知の菌への抗体を持つエリーを病院まで届けることでした。そこには菌の研究をしているファイアフライという組織がいて、そこでエリーを検査し、ワクチンを作ろうとしていたからです。

だから二人は長い長い時間をかけて、ようやく病院へと辿り着きます。しかしジョエルはそにいる施設の人間を倒し、エリーを拐って逃げ出します。それはなぜか?


エリーの命と引き換えに、ワクチンが完成するからです。


だからジョエルはエリーを救い出し、施設を後にしました。

そしてジョエルはエリーに、とても残酷な嘘を吐きます。「ファイアフライは研究をやめた。施設には抗体を持った人がたくさんいた。だからお前を連れて帰った」と。

それから5年が経ち、『ラストオブアス2』の冒頭に繋がります。続編ではエリーが主人公となり、ある一人の人間に復讐を誓います。

その人間とは、5年前にジョエルが病院で手にかけてしまった医者の娘であるアビーです。そんな彼女が、この物語のもう一人の主人公となるのです。

得る物語と失う物語


続編で作品全体の評価がひっくり返ってしまうというのを、私は何度か経験しています。

なぜなら続編というのは、ほとんどが「前作と同じようなテーマ」「前作と180度違うテーマ」の2択になるからだと思います。そしてこの『ラストオブアス2』は、後者だったということです。


前作が「得る物語」なら、今作は「失う物語」なのだと私は思います。


何かを失うというのは、そもそもがネガティブなことです。失うことが大好きという人間はまれで、大多数の人が失うことを恐れているはずです。

失うのは物か、地位か、心か、はたまた人なのかは分からないけれど、それでも全く何も失わない人生などあり得ません。人は何かを得ると同時に、必ず何かを失います。

そんな、ほぼカタルシスを得られないであろう「失うこと」に焦点を当てたゲームが『ラストオブアス2』です。

だから作品の評価が賛否両論になるというのも肯けるし、最後までクリアしてみても思うのが、これは間違いなく人を選ぶ物語だということです。しかしこのゲームは、決して物語も、ゲーム面でも低クオリティではありません。

よく見かける意見が「世情を反映してシナリオがねじ曲がってしまった」というものですが、最後までプレイしてみるとそのような違和感はなかったです。けど物語の途中までは、私も強くそう思っていました。

私はクリアするまでは、この作品に対して「とてもひどいスタッフが悪意を持って作り上げたんだ!」というような、全てが憎らしくなるほどの嫌悪感を抱いていたのです。

話は変わりますが、私は普段からネガティブなテーマ性のある作品を好んでいます。私はそういうものが結構好きで、よくこのブログにも取り上げています。

参考記事

www.kotoshinoefoo.net


そのような作品の扱うテーマは暗く、重苦しく、人によっては目を背けたくなるようなものばかりです。

でも私は、人の綺麗な部分よりも醜くて汚くて辛い、目を背けたくなるような部分を見るのが好きです。なぜならそれは、往々にして「なかったこと」にされがちだからです。

しかしそれは、万人受けするものではないとも思っています。だって、わざわざそんなものを見たって、快い感情にはなりません。誰だってそんなことは分かりきってるので、あえて見る必要はない。でも、だからこそ私はそこに惹かれます。

しかしそんな後ろ向きな感情が好きな私ですら、この『ラストオブアス2』で描かれる物語は辛すぎて「なかったこと」にしようとしていました。

そして、どうしても辛くてこのゲームを投げ出しそうになった時、たまたまこの記事を読みました。

参考記事

realsound.jp


私と同じように中盤辺りで積んでしまった人は、ぜひ上記の記事を読んでみてください。きっとあなたも「最後までクリアしてみようかな」という気持ちになるかもしれません。

これから、物語の核心やラストシーンのネタバレを書きます。

失ってしまったもの


この物語の序盤では、前作の主人公であるジョエルが、この世から永遠に失われてしまいます。この喪失感といったら、言葉にすることができません。


「なぜこんなひどいことを!」「ゲームなんてただの娯楽なんだから、ここまでしなくてもいいのに!」「全てをなかったことにしてくれ!」


いつも私が思っていることと、真反対の感情を持ってしまうほどの衝撃でした。

もっと綺麗な部分を見せてほしい、嘘でもいいから幸せな部分だけを見せてほしい。そう願うほどの悲しみと辛さが襲いかかります。

そしてこれこそが、続編の主人公であるエリーが思っていることと、同じ気持ちなのかもしれません。

そして「全てをなかったことにしたい」というのは、前作の最後でジョエルの吐いた残酷な嘘と同じです。でも、そんな嘘はいつまでも続きません。

続編では、ジョエルが亡くなってしまった後に回想シーンが挿入されます。その回想では、前作から続編までの「ジョエルとエリーの思い出」が語られます。

エリーの誕生日にジョエルと二人で博物館に行ったこと、抗体がないために身近な人が亡くなってしまったこと、エリーがソルトレイクの病院で真実を知ってしまったこと、そしてジョエルにそれを問い詰めたこと…

前作で得た二人の絆が少しずつ壊れて、ぎこちなくなっていく関係が描かれます。エリーは、前作のラストで自分を助けたジョエルの行いを、どうしても許せなかったのです。

その結果、ジョエルはとても凄惨な最期を迎えます。もう一人の主人公であるアビーが、エリーの目の前でジョエルが亡くなるまでゴルフクラブで殴り続けるというものです。

そしてエリーは、アビーへ復讐するために旅に出ることを誓います。

ジョエルについて


ジョエルは前作のラストで、エリーのことよりも自分のことを優先したのだと思います。

エリーの思いや、ファイアフライの願いまでを全てなかったことにして、エリーと共に生きるという自分の幸せのために行動しました。

前作でエリーと出会う前のジョエルは、生きる目的を失った屍のようだったのではないかと思います。愛する娘のサラを失ったジョエルは、続編のエリーのように復讐心を抱くことなく、ただ一人で虚しく余生を生きているだけだったのではないでしょうか。

ジョエルは大事な人も作らず、文字通りただ生きていました。唯一彼のそばにいたテスという女性に対しても、意図的にそう思うのを避けていたのだと思います。でも、そんなジョエルの前にエリーが現れました。

だからジョエルは、エリーを守ることで「自分が自分として生きる目的」を再び見つけることができたのだと思います。

ジョエルはエリーに、サラの面影を少なからず重ねていたと思います。でもきっと、いつしかエリーをただ一人の人間として愛するようになったのでしょう。

それが分かったのは、ジョエルの死後に、彼の家に「サラの写真」と「エリーが描いた似顔絵」がそれぞれ置いてあったからです。


ジョエルはきっと、二人とも大切な家族だと思っていたのだろうと思います。


ジョエルの家に訪れたエリーが、ジョエルの似顔絵を手に取った時、私はそれに気付いて泣いてしまいました。

ジョエルの家には、彼の人となりや、趣味や好みを感じられるようなものがたくさん置いてありました。宝物のように、家のあらゆるところにそれらが置いてあったのです。

ジョエルが動物を好きだということも、木彫りをしていたということも、趣味のいい皿を飾っているということも、私は何も知らなかったのです。


恐らくきっと、エリーも初めてそのことに気づいたのではないかと思います。


一緒に暮らさず、でもお互いの存在を感じていて、ぎこちない思春期の親子のように過ごしていた二人。

エリーとプレイヤーである私は、少しでもジョエルの面影を追い求めるように旅に出ます。旅に出ている間は、いつでもジョエルはエリーの頭の中でそばにいるのです。

ゲーム中では、エリーが書いた日記を読むことができます。そこには、時々ジョエルのことを忘れそうな自分を叱咤しながら、でも目的を果たすまでは決してジョエルのことを忘れはしないという悲痛な思いが書かれています。

きっとこれは、エリーなりの気持ちの整理をつけるための行動なのかもしれません。だからこの作品は、エリーがジョエルのことを理解するための物語でもあるのだと思います。

復讐の意味


私はプレイヤーとしてゲームを進めながら、この復讐という行為には何の意味もないということをずっと感じていました。

綺麗な景色にも、新しいマップにも何の感情も湧かなくて、でもほんの少しだけワクワクしている自分に気付いて罪悪感を覚えるのです。

きっとそれはエリーも同じなのでしょう。そして前作でエリーに出会う前のジョエルも、そんな風に自分を抑えて喪に服していたのかもしれません。


なぜなら、失ってしまった者を思い出だけの存在にしたくないからです。


エリーの復讐は、きっと「ジョエルを忘れないための旅」でもあるのかもしれません。

エリーは間違いなく、自分のせいでジョエルが亡くなってしまったと感じているでしょう。なぜなら、できたばかりの恋人のディーナとうつつを抜かしている間に、ジョエルは亡くなってしまったからです。

しかし、そうやってエリーが浮かれてしまった理由は、物語の一番最後に明かされます。

続編の物語が始まる少し前の回想シーンにて、ジョエルとエリーは会話をします。そこでは、ぎこちない雰囲気の二人が描かれていました。

「お前と付き合えるなんて幸せ者だろ」
「よくそんなこと言えるね!」
「俺はただ──」
「あたしはあの病院で死ぬはずだった
生きたって証を残せたのに
それを奪ったんだよ」


エリーは、自分自身の存在を認められていなかったのかもしれません。

それはもしかすると自分が同性愛者だからなのかもしれないし、自分の抗体で誰かを救えなかったからなのかもしれません。理由どうあれ、エリーはずっと自分に対して自信がなかったのでしょう。

2022/3/13追記:最近『Take On Me』を聴いていてふと思ったんですが、エリーは同性愛者じゃなくトランスジェンダーなのかなと思いました。

なぜかというとエリーがディーナの前で『Take On Me』 をギターで弾いていたシーン(シアトル1日目の楽器店)をもう一度見返してみたら、エリーがすごくカッコよく見えたんです。ずっとディーナはバイセクシャルなのかと思ってましたが、エリーの心が男性なのだとしたらそれはもう異性愛者なのかもしれません。

だったらエリーの対になるアビーは、体が男性で心は女性なのかも…と思いましたが、この話題は少し話が逸れますね。何にせよ、エリーは自分に対して悩みを抱えていたということは変わらないと思います。(追記終了)

そして前作のラストで自分を助けたジョエルの行いも許せず、でも、それでも許したいのだという思いを吐露します。

「もしも神様がもう一度チャンスをくれたとしても…
俺はきっと同じことをする」
「わかってる
多分…一生そのことは許せないと思う
でも…許したいとは思ってる」
「それでいい」


ここでようやく、エリーは自分自身のことを認められたのではないかと思います。


そして同時に、「ジョエルのことを許したいけど許せない自分」のことも認められたのではないかと思います。


だからエリーはあんなにも、恋人ができて浮かれてたのかもしれません。こんなに素晴らしい恋人がいて、自分を理解してくれているジョエルもいる。

でも、ようやく分かり合えかけたジョエルは、その後すぐにアビーの手によって奪われてしまいました。

エリーはきっと、今までの数年間を後悔していたのだと思います。もっと早くに胸の内を話していれば、彼を許せていれば、あの時病院で自分の人生を終えていれば、ジョエルは失われずにすんだのかもしれない。

この復讐は、そんな感情がない混ぜになって、全てがアビーへの憎しみへと収束していきます。

アビーを許したくない心理


私はこのゲームをプレイしていて、アビーのことがとても憎く、そして最後まで許せませんでした。

しかしそれは、「そうでなければならない」という願いでもありました。

アビーは残虐非道な人物で、エリーの敵で、ジョエルの仇。それだけの存在であってほしいと思っていたのです。


しかし作中で描かれるアビーという人物は、ムカつくほど良い奴でした。


だから最初、私は「このゲームに説教されているのではないか?」とすら思っていました。復讐や争いなんて何も生みやしないのだと、そんな風に押し付けられる物語なのかと思ってプレイする手が止まったのです。

もちろんそれは間違った考え方ではありませんが、ジョエルを失ってしまった私にとっては、悪魔の囁きのようでした。

なんでもっと、アビーは分かりやすい悪人ではないのだろう。なぜそういう風に描いてくれないのだろう。

だからどうしても、私はそんな声に屈することなく、自らの手でアビーをこの世から葬りたいと思っていました。


でも同時に、もしかしたらこの物語のエンディングは、そうさせてはくれないのかもしれないとも思いました。


だから私は、このゲームのエンディングを見ることが怖かったです。プレイする手を進めては止めて、止めては進めて、そして何日も間を空けたこともありました。

まるであの郊外の家で、全てを忘れて幸せな生活していたエリーのように、私はこの物語を「なかったこと」にしようとしていたのです。

でもダメでした。どうしても、ふとした日常生活の中でジョエルが亡くなる瞬間を思い出してしまうからです。

だからエリーが、ディーナ達と暮らしていた幸せな生活の中でジョエルの最期を思い出して取り乱した時、思わず一緒に泣いてしまいました。


エリーとどんどん気持ちが一つになって、彼女の言動の全てがわかるような気がしたのです。


だからもう一度復讐を決意したエリーのように、私もこのゲームを終わらせないといけない。ただそれだけの気持ちで、クリアまで画面の前に向かっていました。

そんなエリーが最後の最後でアビーを手にかけようとした時、ジョエルの姿を思い出します。

ギターを抱えて、穏やかな顔でこちらを見るジョエルを思い出したエリーは、涙を流しながらこう言います。

もう行って
あの子と一緒に


エリーがそう言った時、私も一緒に泣きながらアビー達を見送りました。

自分はもう何もかも失ってしまったのに、アビーは大切な人であるレブと共に、ボートに乗って海の向こうに消えていきます。

そんな彼女達が行ってしまってホッとしてる自分もいたし、同時にやるせなさも感じていました。

アビーを許せない、でも許したい。アビーの全てが憎らしいのに、彼女の良いところにも気がついてしまう。


でも、ジョエルは「それでいい」と言いました。


私は、ジョエルを奪ったアビーのことを許せないです。けど、許したいとも思います。これは、かつてのエリーと同じです。

ディーナがエリーに言ったように、人は簡単に「憎しみを手放せ」と言いますが、実際はそんなわけにはいきません。

傷つけられた心の痛みは一生胸に残り続けるし、許せるはずがありません。どうしたってジョエルはもう帰ってこないのです。

あの少し不器用で、でも優しかったジョエルは、もう思い出の中でしか会えません。

最後まで希望はないのか?


この復讐の旅で、エリーは様々なものを失いました。

父親のような存在であったジョエルも、恋人のディーナも、友人のジェシーも、ギターを弾くための左手の薬指と小指も、帰る場所さえも。


でも同時に「失ったものを、これからまた取り返す物語でもあるのかもしれない」とも思います。


それはこの物語の最後まで描かれなかったけど、一つだけ示唆されていた言葉があります。

闇の中にいる時こそ光を探せ


これは、アビーが父親から教えられた言葉です。

前作でジョエルはサラを失いましたが、その後、何十年も経ってからエリーと出会えました。それは、ジョエルがエリーと出会うまで生きていたからです。

この物語でエリーは失ってばかりで、最後まで何も得るものはありませんでした。でも、彼女はこれから何かを得ていくのだろうとも思います。

あんたがあたしの仲間!
いい?戦って二人で生き延びるの


アビーは、姉を失ってしまったレブにこう言いました。それはまるで、前作のジョエルがエリーに「何があっても戦う目的を見つけなきゃダメなんだ」と言ったように。

そしてアビーもまた、父親や友人達を失ってしまった後に、レブと出会いました。

生きていれば、光は見つかるのかもしれない。でも、生きることをやめてしまったら暗闇のままです。

この物語からは、果たして本当に何も得ることができなかったのでしょうか?エリーは最後まで、全てを失い続けたのでしょうか?


これはエリーが、暗闇から抜け出すための物語なのかもしれません。


そういう意味ではこの物語は必要だったし、あってくれて良かったとも思います。悲しみの後には喜びがあると、そう信じて生き抜く人のための物語なのだから。


「このゲームが嫌われても構わない」『The Last of Us Part II』制作陣、野心的な企み語る | THE RIVERという記事で、この物語の脚本家はこう言いました。

エリーとして生きて、彼女の葛藤と夢に共感してください


その言葉通りプレイ中、私は間違いなくエリーでした。かつてジョエルを愛していた、ただ一人の少女だったのです。

そして同時に、私はエリーでもあり、アビーでもありました。エリーを通して描かれたことは、鏡のようにアビーのことも映し出しているからです。

この二人は、もしも全然違う風に出会っていればいい友達になれたのかもしれないと、どうしようもないけどそんなことを思います。でもきっと、永遠にそんな瞬間は訪れません。


でも、ボートに乗るアビーを見送ることで、私はエリーのことも見送っていたのです。


私は、こんなにも心がぐちゃぐちゃになるゲームをプレイしたのは、生まれて初めてのことでした。


クリアしたかったし、クリアしたくなかった。とても良かったし、とても良くなかった。


それくらい自分がジョエルのことを愛していたのに驚いたし、もしかするとそんなエリーに感化されてしまっただけなのかもしれません。

どちらにせよ、こんなにも登場人物たちの気持ちとシンクロする経験は、もう二度とないでしょう。このような感情を間接的に教えてくれたエリーやジョエルやアビーは、私にとって特別な存在だと思います。

私はジョエルを失わせてしまったこのゲームのことを許せないけど、それでも許したいと思います。でも、それでいいのです。それでいい。ジョエルが最後に教えてくれた、とても素晴らしい言葉だと思います。

エリーは物語の最後に、ジョエルのギターを置いて旅立ちました。この瞬間、エリーは「ジョエルの娘」としてではなく「エリー自身」の人生を歩み始めることができたのでしょう。

この5年間、エリーはジョエルのために生かされていました。最後の最後でようやく、エリーは彼から自立することができたのかもしれません。

追記:未来を託すこと

英語の勉強をしようと思ってなんとなく『ラストオブアス2』に出てきた曲を調べてたら、ジョエルが最後にギターで弾いていたのは『Helplessly Hoping』という曲だということが分かりました。

日本語では「どうしようもない望み」と訳します。自分の存在が彼女を苦しめているけど、それでも彼女と共にありたいと願う歌。パーティーの夜にエリーを庇って拒絶されたジョエルは、一体どんな思いでこの曲を弾いてたんだろう?この曲を聴きながらそんなことを考えます。

そんなジョエルが最初にエリーにギターを教えてくれたのは『Future Days』という曲で、自分たちの未来を願う明るい歌でした。

ジョエルはエリーを救うことで自分の運命が呪われてしまうということを分かっていても、それでも彼女の人生を守ったのだと思います。


だから19歳になったエリーはギターも弾けるし、恋もできていました。


ただ、そのジョエルの行動を愛と呼ぶには、あまりにも独りよがりなのかもしれない。ジョエルはそんなどうしようもない望みを、一人でずっと抱え込んでいたんでしょうね。

でも最後にジョエルのそんな姿を思い出したエリーは、海でアビーに手を掛けることをやめました。アビーが劇場でエリーに手を掛けることをやめたのと同じように。

ゲーム内で描かれたアビーをそっくりそのままエリーの立場に置き換えると、また彼女への感じ方が変わってきます。アビーはジョエルを失った後のエリーそのものだから。父を亡くした悪夢を今でも見続け、仲間にもうやめろと言われてもやめることができない悲しい少女。


アビーの父はアビーを含めたこれからこの世界を生きていくであろう人類に未来を託したかったはずだし、ジョエルもまたエリーに未来を託したかったのだと思います。


前作『ラストオブアス』でパンデミックが起きたのは、(サラを操作する時に見ることができるジョエル家の壁に貼ってあったカレンダーから推測するに)2013年9月でした。

そしてパール・ジャムが最新ライヴで新曲「Lightning Bolt」「Future Days」を初披露 - amassの記事によると、『Future Days』が新曲として発表されたのは2013年7月です。

恐らくジョエルの記憶の中で一番新しく、それでいて希望に満ちた曲がこの『Future Days』だったんでしょうね。

2013年10月にアルバムに収録されるはずだった『Future Days』は、もうジョエルの記憶の中にしか残っていません。だからきっと、ジョエルはこの曲をエリーに伝えたかったのかもしれない。

そういえば最近クリアしたライフ イズ ストレンジ 2 - PS4というゲームの「贖罪」エンディングを見て、同じようなことを思いました。


www.kotoshinoefoo.net


人の一生は、何かを成し遂げるにはあまりにも短すぎると思います。だからみんな誰かに希望を託すんじゃないかな。改めてそう感じました。




私はスペシャルエディションを買いました。50pほどのミニ設定資料集が付いてきます。パッケージで描かれているエリーの反対側では、きっとアビーも同じ表情をしているんでしょうね。


ラストオブアス2の画集です。前作の画集ジ・アート・オブ The Last of Us (G-NOVELS)と併せて、ようやく日本語版が出ました。背景のイメージボードやキャラの初期案などが載っています。

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