こんなんおひとつ

おすすめ作品の感想と考察、時々コラム。

平成の終わりにケンとチャコを想う。映画『オトナ帝国の逆襲』ネタバレ考察

平成にスマートフォンが爆発的に普及し、SNS文化が栄え、そして令和が始まるなんて誰が予想できたでしょうか。

2019年の今になって、2001年に公開された原恵一監督の『オトナ帝国の逆襲』を、改めてもう一度観返してみました。

あの時代から約20年経ってから思うことを、今だからこそ考察してみます。

平成の時代に思ったこと


2001年の当時、私はまだ子どもでした。

それまでのクレヨンしんちゃんの映画といえば、『ヘンダーランドの大冒険』『雲黒斎の野望』などが印象的で、ビデオが擦り切れるほど観た記憶があります。

そんな中で突然現れた『オトナ帝国の逆襲』は、子ども心ながらに異質で、異端で、不思議な作品だったように思います。


なぜか大人がハマった映画。


まるで劇中のひろしやみさえのように、世間の大人たちは過剰にオトナ帝国を持ち上げていたような気がします。

もちろん私は昭和の時代をよく知らないので「何がそんなにいいんだろう?」と思いながら、時々挟まるギャグシーンを笑って観ているだけでした。

だから私は大人になって平成が終わった今、ようやくこの映画が何を伝えようとしていたのかが分かりました。

ケンとチャコについて


この物語の昭和(過去)平成(現在)に置き換えて観てみると、ケンとチャコの悲しみや苦悩に共感できるような気がします。

俺たちにとってはここが現実で、外は偽物の世界だ。


例えばSNSを覗いてみると、毎日色々な情報がひっきりなしに現れます。

誰それが炎上した、何々の新作が出た、どこそこのスマホゲーが詫び石を配った…

今この瞬間を埋めるような娯楽が、そこらかしこに溢れ返っているように思います。


もしケンとチャコも、そんな「今」が嫌になったんだとしたら?


年金も貰えるのか分からない、平均年収も出生率も下がったこんな世の中で、私はどうやって生きていけばいいんだろう。

子どもを産み育てたとして、こんな世の中でどうして希望を持てと伝えてあげられるんだろう。

それはケンとチャコも同じで、偽物ばかりが氾濫しているこの世の中で、一体何を信じたらいいのかが分からなくなったのではないかなと思います。

ケンはなぜ計画を話したのか?


物語の終盤、ケンは野原一家にこう伝えました。

お前たちが本気で21世紀を生きたいのなら、行動しろ。

未来を手に入れてみせろ。


わざわざ場所も手順も教えて、ご丁寧に少し待ってから遅れて出発します。

彼は本当に「イエスタデイワンスモア」という組織名の通り、あの頃をもう一度取り戻そうとしていたのでしょうか?


だから私は、彼には迷いがあったのではないかと思います。


この世界を変えたいけれど、自分がそんなことをしてもいいのだろうか?

自分たちが20世紀を生きたいように、もしも21世紀を生きたいと願うものがいたら?


そしてそう思っていたのは、実はケンなのではないか?


本当はケン自身が、21世紀を生きてみたかったんじゃないかなと私は思います。

未来は常にある。俺たちが昔憧れた、夢の21世紀が。


物語の冒頭で、ケンがチャコにそう言っていたように。

チャコはなぜ外の世界が嫌なのか?


しんのすけが塔の上にたどり着き、ケンの足を掴んだ時、チャコの表情は悲しげに見えます。

やっと念願の20世紀を生きられるのに、全然嬉しそうじゃないのです。

嘘よ!嘘でしょ?
私たちの街が私たちを裏切ったってこと?


そう言いながらチャコは、しんのすけに八つ当たりをします。

どうして?ねぇどうして?
現実の未来なんて、醜いだけなのに!


なぜチャコは、現実の世界を醜いと言い表したのでしょうか?

この物語の中で、チャコの心情を読み取れるシーンは少ないです。

その中でも、チャコが言った言葉を引用しながら考えてみます。

外の人たちは、心がからっぽだから。物で埋め合わせしているのよ。

だからいらないものばっかり作って、世界はどんどん醜くなっていく。


最初の計画が実行される30分前、チャコはケンと20世紀の街並みを歩きながらこう言いました。

もしかしたら彼女は、今この瞬間が永久に続くよう願っていただけなのではないか?

ケンは未来に夢を見ているけれど、チャコは刹那的にを望んでいるだけのではないかと思います。


幸せな二人の同棲生活がいつまでも続くように、未来のことなんか考えないで、今この瞬間を二人で過ごしたい。


なぜそう思ったのかまでは分からないけれど、彼女の願いはたったそれだけのような気がします。

二人はなぜ死のうと思ったのか?

「おしまいね」
「ああ。20世紀は終わった」
「私外には行かないわよ」
「わかった」


大事なのは、ここで死のうと言ったのはチャコだけということです。

未来を夢見ていたはずのケンは、同意しかしていないのです。

きっとそれくらい、チャコを愛していたのでしょう。

死にたくない……!


けれどチャコは、直前になってこう言いました。

外には「行けない」じゃなくて、「行かない」と言ったチャコ。

行けるのに行きたくなかったチャコは、きっと未来が怖かったのかもしれません。


明日にはどうなるかが分からないこの社会が、人々が、未来が、全てが怖かった。


ただ今を生きたかった。たったそれだけなのかもしれません。

これからの未来に思うこと


私は今、ケンとチャコが望んだような未来を生きているのだろうか?

オトナ帝国をもう一度観終えた今、そんなことを思います。

令和はどんな未来になるんだろう。もしかしたら令和が終わる頃には、平成が一番良かったなんて思うのかもしれない。


私は野原一家のように、命をかけてでもこの世界の未来を心から願うことができるだろうか?


正直に言うと、ちょっと難しいかもしれないなと思います。

だから私は、しんのすけのような子どもが現れるのを待っているのでしょう。

大人はいつだって、これからの時代を担う子どもに未来を託すことしかできないのだから。



ようやくこの作品が理解できて、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちです。名作です。

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昔のクレしんが好きだったあなたへ。映画『逆襲のロボとーちゃん』ネタバレ感想

クレヨンしんちゃんの映画は、劇しんと呼ばれたりするほど、それだけで知名度が高いです。

しかし人によって思い入れのあるタイトルは、千差万別だと思います。自分が子供の頃に何度も観たもの、映画館に足を運んで観たもの……

今回は、私が大人になってから初めて観た『ロボとーちゃん』の話をします。

原恵一監督以前・以降


『ロボとーちゃん』を語る前に、劇しんを語る上で原恵一監督の存在は切っても切れないと思います。

劇しん史上最も認知度があるであろう『オトナ帝国の逆襲』『戦国大合戦』を手がけたのが、原監督だからです。

しかしそれと同じくらいに原監督の作品で特徴的なのが、子供向けアニメとは思えないくらいにヒューマンドラマとしての描写がしっかりしていることが挙げられます。


だから「昔の劇しんが好き」という人は、私のように原監督のリアルな演出が好きという方も多いのではないかと思います。


なんとなく「劇しんがつまらなくなった」なんて思うのも、無理はありません。なぜなら私は、彼の描くキャラクターの人間臭い部分をクレしんに求めていたのです。

そしてもちろん、劇しん最初期の本郷みつる監督の作品が好きな方も多いかと思います。

本郷監督の描く作品の特徴としてはSFファンタジー要素が強く、とてもワクワクドキドキするような作品になっています。

そんな彼らの功績はとても偉大です。しかし偉大すぎるが故に、私は心の奥底で劇しんへの幻想を抱いてしまうようになったのです。

ロボとーちゃんは面白い?


さて、本題の『ロボとーちゃん』についてです。

ちなみに私は、『カスカベ野生王国』までの17作品しか劇しんを視聴していません。

もしあなたが私と同じように「なんとなく昔の劇しんが好き」なら、ロボとーちゃんも面白いと感じるかもしれません。


なぜならこの作品では、あの頃のクレしん映画を感じることができるからです。


それが良いことなのか悪いことなのかは、私にはわかりません。でも私にとってロボとーちゃんはとても面白く、そして懐かしく感じました。

そもそも『クレヨンしんちゃん』というコンテンツは、時代の流れを受けてどんどん変化していく作品だと私は思っています。

最近のことはよく知らないのですが、原作やTVアニメでも時事ネタをどんどん取り込んだりしているイメージだし、 もちろん映画も同じように進化し続けているのでしょう。


だからこそ「私の好きな劇しん」はもう戻ってこないのだと、心のどこかで感じていました。


めちゃくちゃで、面白くて、なのにちょっとだけいい話。

だからこそ、まさかあの頃のノリをもう一度見ることができるなんて思ってもみなかったです。

ストーリーについて


『ロボとーちゃん 』というタイトル通り、この映画はしんのすけの父であるひろしが主役です。

ひょんなことからロボットに改造されてしまったロボとーちゃんを含めた野原一家が、悪の組織「父ゆれ同盟」と戦うというストーリーです。

ラストの結末


物語を観ているとだんだん気付いてくるのですが、ロボとーちゃんはひろしの記憶をコピーしただけのロボットです。

愛する家族がいて、その家族を守るために戦った。でも自分は彼の本当の父親ではなく、ただのロボットでしかありません。

この設定、私はとてもずるいと思います。こうやって書いてるだけでも、映画のストーリーを思い出して泣けてくるからです。

そんなこんなで、野原一家は団結して悪の組織に勝利を収めますが、しかし物語はこれで終わりではありません。


最後にロボとーちゃんは、本物の野原ひろしと腕相撲で対決するのです。


ラストは、この物語のテーマである「父親のあり方とは」という問いかけに、実にクレしんらしい描き方で決着をつけていたと思います。

「どっちも勝てー!」
「あーい!」
「あなた、勝って!」


最後のこのシーンがやっぱり一番グッときたし、とても印象に残っています。

「どっちもオラの大好きなとーちゃんだ!」


父親って、一体なんなんだろう。その答えが、しんのすけのセリフなのだと思います。

しんのすけの成長


しんのすけの成長は、同時にコンテンツの成長とも言い換えることができます。

今では声優さんも、昔と変わってしまいました。いつまでも「あの頃のしんちゃん」ではいられません。どんなものにも変化はつきものだからです。

今後もクレヨンしんちゃんというコンテンツは続いていくのだと思います。

でも、しんちゃんはずっと自由で元気に、明るく楽しく過ごしてくれてたら嬉しいですね。



これを機に、最近の劇しんも観てみようかなと思いました。『新婚旅行ハリケーン』も気になるなぁ。

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「諦めなければ夢は叶う」は本当か?映画『フラッシュダンス』ネタバレ感想

真っ暗な中、メロディーだけが聞こえてくる。

するといきなり「FLASH DANCE」という大きな文字が映し出され、画面が切り替わる。

朝日の中、自転車を漕ぐ女。顔は見えないが、真っ直ぐ道を突き進んでいく後ろ姿はわかる。


ホワット・ア・フィーリング


フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング

フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング

  • 発売日: 2018/08/10
  • メディア: MP3 ダウンロード


突然、どこかで耳にしたことのあるフレーズが流れ出して、自分が前のめりでこの映画を見ていることに気付く。これが、フラッシュダンスの冒頭です。

落ちこぼれ達の物語


フラッシュダンスという映画は、一見「努力によって夢を掴み取る」物語のように思えます。

もちろん、この物語を観た後もそう捉える人もたくさんいるだろうし、それは何も間違ったことではない思います。

でも、私にとってこの映画は「夢を叶えられなかった人々」の物語のように感じました。

ところで私は、押し付けるようなキラキラした言葉や、正しさを理由に正義を振りかざすことが嫌いです。

もちろんこれはただの比喩であって、特定の何かについて言っているわけではありません。

嫌いな理由はわからないけれど、自分の中にそんなモヤモヤとした言葉にできない何かがあって、いつも心のどこかで引っかかっています。

だからこの映画も、最初はただの明るいハッピーな映画なのかなと思っていました。

夢を叶えられなかった者たち


主人公のアレックスは、バレエダンサーになる夢を叶えるために、昼間は溶接工として働き、夜はバーでダンスを踊る生活を続けています。

アレックスの周りには、様々な形で夢を叶えようとした者、そして叶えられなかった者がたくさん登場します。

才色兼備な妻と別れ、アレックスの働く製鉄所の社長を務めるニック

アレックスの師匠であり、かつてはバレエダンサーとして活躍していたハンナ

プロスケーターになるという目標に破れた、アレックスの友人ジェニー

ジェニーの恋人で、コメディアンになるためにLAに行くも挫折して戻って来たリッチー


そんな、いわゆる「落ちこぼれ」達が、たくさん登場します。


でもその中で、主人公のアレックスだけが、まだ夢への一歩すら踏み出せていないのです。

自分の夢は本当に正しいのか?


彼らは迷い、悩み、時には道を間違えます。ただ、藁にもすがる思いで、夢を掴み取ろうと努力し続けることしかできません。

ニックは奥さんと別れて正解だったのか。リッチーはまたハンバーガーを焼き続けるのか。ジェニーはもう二度とスケートをしないのか。ハンナは最後まで幸せだったのか。

「目指していた夢」が本当に正しかったのかどうかなんて、誰にもわかりません。

物語のラストで、アレックスはバレエ団のオーディションに合格するところで終わります。


でも、その後彼女がバレエダンサーとして上手くやっていけるのかどうかも、誰にもわかりません。


彼女の気の強さからして、団員と揉めたり、マニュアル通りの踊りが出来なくて衝突しても、おかしくはないです。

話は変わりますが、私がこの映画で一番印象に残っているのは、アレックスに自分の昔話をしたダンサー仲間です。

失った夢の先に


ちゃんとした役名があるのかどうかもわからない、物語の中で数分しかなかった、ダンサー仲間の過去の話。

それなのに、私はどうしても彼女のことが忘れられません。

でも買うのをやめた
ある日 急に
訳はいま考えても分からない
衣装はみな古くなったわ
いつか見せてあげる


彼女も、かつては大きな夢を持っていたのかもしれません。

彼女は今、幸せなんだろうか?
今でも迷ったり、悩んだり、落ち込んだりすることはあるのだろうか?

出番だわ


私に分かることは、彼女は今も舞台で踊り続けているということだけです。

叶えられなかった夢の意味


人生、何が起こるかなんて誰にもわかりません。それでも、前を向いて進むしかないのです。

申し込まないとオーディションが出来ないように、ステップを踏まないと光り輝く舞台には上がれない。


もしかしたら、他の夢破れた者と同じように、アレックスもいつかバレエ団を辞めてしまうのかもしれません。


でもきっとアレックスは、バーで今も踊り続ける彼女のように、死ぬまでずっとダンスを続けているのだろうと思います。

私にも夢がありました。夢と言うには彼らほど努力なんてできなかったけれど、でも結局その夢を追うのはやめました。

時々、あの頃耐えられなかった自分を思い出して辛くなるけれど、案外今のままでも幸せです。

私は趣味で過去の夢をなぞりながら、今を生きています。だってもう、一歩は踏み出したのだから。


本当に夢を叶えられるのは、ほんの一握りの人間だけです。


じゃあ、夢が叶わなかった者は、ただの落ちこぼれなんだろうか?

フラッシュダンスを観ると、重要なのは「ステップを踏むこと」だとわかります。

夢を叶えることが全てではない。どんな結果になろうとも、ステップを踏んで、一歩前に出ることが大事なのです。

だからこの物語は、あなたの物語でもあります。



フラッシュダンス (字幕版)

フラッシュダンス (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
挿入歌は、どれもノリとテンポが良くて好きです。ミュージカル系が好きな方にもおすすめです。

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純粋な願いに正義はあるのか?映画『仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』ネタバレ感想

なぜあんな奴が生きているのだろう?とすら思うほど、大嫌いな人間がいます。

その一方で、ずっと幸せでいてほしいと思うほど、大好きな人間がいます。

もしもそんな二人が崖から落ちそうになっていたら、私は迷わず大好きな人間だけを引き上げるでしょう。

でもきっと城戸真司(きどしんじ)なら、どちらも助けてしまうのだと思います。

龍騎という作品について


ところで、「戦わなければ生き残れない」というフレーズを聞いたことがありませんか?

これは龍騎のキャッチコピーなのですが、まさにこの作品は正義VS正義の戦いを描いたものだと思います。


二つの正義が戦った場合、一体どちらの正義を信じればいいのでしょうか?


この映画は、TVシリーズ最終回の先行公開として、TV放映中に上映された作品です。

しかし結論から言うと、この映画はTVシリーズの最終回と全く違うラストになりました。

なぜならこの映画は、龍騎という物語の「無数の選択肢の中の一つ」に過ぎないからです。

ちなみにTVシリーズの28話放送後にこの映画は公開されたので、仮面ライダー龍騎を1話も見たことがない方は、ぜひそこまで見てから映画を観てください。


この映画は、単体では全く意味を成さない映画です。


TVシリーズ全話と、TVスペシャル版を見てようやく、この映画の持つ意味がわかるのだと思います。なので私は、この映画作品だけを評価することはできません。

また、映画には劇場公開版ディレクターズカット版の2種類が存在しますが、より深く物語を理解したいのならディレクターズカット版を見る必要があります。

劇場公開時にカットされていた約20分間の映像が収録されているので、ディレクターズカット版を見ないと若干キャラクターの心情が分かりづらくなっています。

そんな取っ付きにくい作品ですが、しかしそれでも改めて映画のことを考えた時、とても素晴らしい作品だったと思います。


それはこの映画が、『仮面ライダー龍騎』という大きな物語を理解する上で、重要なピースの一つになるからです。


神崎士郎の願い


仮面ライダー龍騎は、城戸真司(きどしんじ)という男が主人公の物語です。

しかしこの映画を観ると、仮面ライダー龍騎は神崎士郎(かんざきしろう)という一人の男の願いを描いた物語なんだと気付かされます。

士郎は、妹を救うために何度も時間を巻き戻し、自らが生み出したライダーシステムにより13人の仮面ライダー達を戦わせていました。


では、神崎士郎とは一体どういう男なのでしょうか?


士郎は、妹の優衣(ゆい)のためだけに何度も時間を戻して、彼女が助かる道を探し続けていました。

沢山の人々を犠牲にしてでも、自分がミラーワールドに囚われてしまっても、何度も優衣を助けようとします。

「あたしがいじめられると、いつもいつも助けてくれた」

「俺はいつでも、お前を助ける。これからも、ずっと」



妹を救いたいという純粋な願いを持った男。それが神崎士郎という人間です。


しかし龍騎には、そんな士郎と同じように、「何かを犠牲にしてでも自分の願いを叶えたい」者達が登場します。


ライダー達の願い


この映画に出てくる重要なキャラクターに、霧島美穂(きりしまみほ)という女性がいます。

彼女もまた、仮面ライダーファムとしてライダー同士の戦いに身を投じ、自らの願いを叶えようとします。

仮面ライダー王蛇である浅倉威(あさくらたけし)に姉を奪われた美穂は、亡くなってしまった姉の命を取り戻すため、そして仇を取るためにライダーになります。

ですが正直、美穂に関しては、いきなり出てきて亡くなってしまった人間という印象が強かったです。

なのでディレクターズカット版や、DVD特典の監督によるオーディオコメンタリーも併せて観ないと、霧島美穂についての感情が読み取れないまま終わってしまいます。


それらを観ることで初めて、美穂という人間が、とても魅力的に映ります。


美穂は、表情や行動などの少ない要素から読み取ってようやく、どんな人物なのかを想像することができます。

男言葉を使うのは、きっと姉のためにも強くあらねばならないと願っているのかな、とか。

もしかしたらお姉さんは真司と似ていて、しっかり者の美穂には真司が懐かしく見えたのかな、とか。

「ごめんね、お姉ちゃん……」


美穂の最期の言葉には、たくさんの意味が込められているように思います。

そしてもちろん美穂以外にも、恋人を救いたいと願う者や、戦いを楽しみたいという願う者や、自身の不治の病を治したいと願う者がいます。

それぞれが願いを持ちながら、それを叶えるために戦っています。

しかし龍騎の物語では、このように一人一人のバックボーンがしっかりと語られることは、あまりないです。

願いを持たない城戸真司


よく考えると、生きている人間は誰だって、他人がどんな人物なのかを正確には分からないと思います。

なので表情や言動から、「こう思っているんだろうな」と推測することしかできません。


しかしその中でも、主人公である城戸真司だけは別です。


彼は分かり易すぎるほど、言動に違和感がないのです。

真司はよく、バカだと他のキャラクターから言われます。今回の映画でも、TVシリーズでも沢山の人に騙されて利用されていたのに、懲りずに美穂にも騙されていました。

真司はことごとく、人の地雷をぶち抜いて怒らせる天才です。そしてこの映画でも、見事にその才能を発揮しています。

「最悪だな、お前!」

「何だよ……だから何だよ!あたしは勝たなくちゃいけないんだよ。どんな汚い手を使ったって、勝たなくちゃいけないんだ!」


そして真司は、そう言い残して去っていく美穂を、切り捨てることはできないのです。

「あの女、やっぱり根は悪い奴じゃないんだな」



これが、「城戸真司」という男を象徴するセリフなんだと、私は思います。


この物語の中で、真司だけが戦うための明確な願いを持っていません。

だからこそ真司は、どこまでも人間というものを信じているのでしょう。

だからこそ、仮面ライダーだろうが、どんなに嫌いな奴だろうが、人間を助けたいと願うのです。

「あ、それからさ。もうやめような、ライダー同士の戦いは」

「……うん。考えとく」


だから私は、真司のことを嫌いになれません。むしろ好きです。


もしかしたら美穂も、私と同じ気持ちだったのかもしれないなと思います。


願いを持たない者が、願いを持つものを必死で止めようとしてくる。

願いを持つ者からすると、どう考えても邪魔だし、浮いてるし、やめて欲しいですよね。

それなのにどうしても、真司のことが憎めないのです。

「もうお前には騙されない。優衣ちゃんはそんなこと望んでないんだ。他人の命なんていらないんだよ!それが……優衣ちゃんの選択なんだ」


この映画の中で真司は、優衣の「他人の命で生きたくない」と思う気持ちを尊重しました。


だとすると、士郎の意志はどうなるのでしょうか?


自分の願いを叶えるためには、誰かの願いは叶えられません。だからみんな、戦うのです。

たとえ自分以外の誰かが、自分が一番救いたい者が傷ついたとしても、願いを曲げることはできません。


龍騎の物語を見終えて思うことは、自分の生き方は本当に正しいのか?ということです。


この年になって、自分の根幹を揺さぶられると、どうしようもなく苦しくなります。

真司という存在は、ライダー達や士郎にとって、アイデンティティーや生きる意味を否定されることそのものです。なぜなら戦う理由は、自分自身の存在する意味なのだから。


真司を見ていると、好きだけど無性に、どうしようもなく辛くなります。


だからみんな、真司に真っ直ぐに向かって来られると、怒るのかもしれません。

いきなり現れて、自分の邪魔をして、図星を突いてきて、そのくせ「戦いをやめろ」なんて綺麗事を抜かして。

でも何度裏切っても、何度騙しても、何度突き放しても、真司はみんなを信じ続けます。

真司の存在は、目を背けてしまいたくなるほど、眩しすぎるのです。

みんなの願いと正義


「だが、わかってくれ。俺は勝たなければならない。どんなに可能性が少なくても、俺は賭けなければならないんだ。……戦ってくれ、俺と」


好きだからこそ、尊重しているからこそ、最後に真司と戦いたいと願う秋山蓮(あきやまれん)という男。

二人のライダーの願いは、決して交わることはありません。だからそれぞれの願いを叶えるためには、戦わなければならない。

そして敵の大群に突っ込んでいく二人のカットで、この物語は終わります。彼らは最後まで、自分の信じるもののために戦ったのです。


それじゃあ、私はどうやって生きればいいんだろう?


真司と蓮は、たくさん迷って、たくさん悩んだ末に、それでも自分の願いを貫くことを選びました。

彼らが教えてくれたことは、自分の信じる道を進むしかないということです。


きっと私は、一生他の誰かに変わることなんてできないのだ。


真司や蓮のことを、美穂のことを、優衣や士郎のことを、ライダーのみんなのことを、色んな人のことを考えながら、私はこれからも生きていくのだろうと思います。



プライム配信版はカットが多いので、ディレクターズカット版がおすすめです。

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大人になってからもう一度観てほしい。映画『のび太の太陽王伝説』ネタバレ感想

映画を観ようと思って、Amazonプライムビデオのウォッチリストを上から順に目で追うと、ドラえもんの映画を見つけました。

私のウォッチリストには2種類のパターンがあって、一つはまだ観たことのないものと、もう一つは観たことのあるお気に入りのものです。

この場合、『のび太の太陽王伝説』は後者にあたるので、私はすでにこの物語を知っています。

なのになぜ大人になった今、太陽王伝説を観る必要があるのでしょうか?

子どもの頃の理想と現実


子どもの頃はなぜか漠然と、大人は定年まで同じ職場で仕事して、漫画やアニメやゲームなんか見なくなって、毎日新聞を読まなくちゃいけないような気がしていました。


実際は新卒で入った仕事は転職したし、漫画やアニメやゲームは今でも大好きだし、そもそも新聞は取っていないです。


だから結局、大人になっても変わらず、子供の頃に好きだった太陽王伝説を何度も観てしまうのかもしれません。

太陽王伝説は、旧ドラえもん映画の中でも、少し特殊な物語だと思います。

まず、主人公が二人いること。そして冒険やアクションの要素が薄いこと。その代わりに、キャラクター達の心がとても身近に感じられること。

だから私は、この太陽王伝説が大好きです。

ドラえもんっぽくない映画


旧ドラえもん映画は、特に80年代のものが好きで、子供の頃は繰り返しよく観ていました。

『海底鬼岩城』や『魔界大冒険』など、非日常の場所でワクワクするような冒険がメインで楽しかったです。

太陽王伝説では、古代のマヤナ国というところに偶然タイムワープしてしまうのですが、マヤナ国自体はそんなにワクワクする場所ではないように思います。

単純に、私が古代文明に興味がないだけかもしれないけれど、古代都市はあまり子供が憧れるような土地ではないのかもしれない。

それでもやっぱり、私が太陽王伝説のことを好きな理由は、キャラクター達がしっかりとそこに生きていて、心があるからだと思います。

のび太のキャラクター性


この映画の中で一番印象的なシーンは、のび太が王子のフリをして、街に出かけて行くところです。

遊んでいる子ども達に、「何してるの?」と気軽に声をかけて一緒に遊ぶ。そんななんでもないシーンなのに、なぜかその場面が心に残っているのです。

旧ドラえもんの、特に後期作品ののび太は、全く毒のない優しい人間として描かれていることが多いです。

しかし初期の映画や原作などでは、そこまで毒のない人間ではなかったように思います。


だからこそ、この映画の彼は聖人君子のようにも思えるのです。


彼は「のび太」という名前が同じだけの、全くの別人だと思います。ですが私は、そんなのび太のことも好きです。

もしかしたら作品と一緒に、のび太も成長しているのかもしれません。

だからこそこの映画では、別の人間の成長が描かれています。それがマヤナ国の王子・ティオです。

ティオは傲慢な王なのか?


子どもの頃、ティオは傲慢で冷たい人間のように思っていました。

この物語は、そんなティオとのび太の二人が主人公となって、進んでいきます。

そして彼は、のび太たちと出会うことによって心を取り戻し、勇敢な王になれたのだと、なんとなくそんな風に考えていました。

でも、大人になって改めてこの物語を見返すと、ティオはただ不器用でまっすぐな優しい子どもなんだと感じられました。

ティオは、自分に仕えるヒロインの少女・ククに、厳しく冷たく接します。

でも、物語の中盤でククが敵であるレディナに連れ攫われた時、ティオは彼女を救い出そうと、一人で敵地へと乗り込みます。

このティオの矛盾した行動は、あの頃では理解出来なかったけど、今ならよくわかります。


ティオは、のび太と同じ優しさを、最初から持っていたのです。


ただ彼は、それを表に出すことができなかった。なぜならティオは、国を守る王になるべき存在だからです。

大人になったからこそ


大人になると、人の心を感じられる瞬間が、ずっと少なくなったことに気づきます。

社交辞令やお世辞のやりとり。耳を塞ぎたくなるような嘘と噂話の数々。

そんなものに囲まれていると、だんだんと人の本心がわからなくなってきます。

でも、そんな時にこの太陽王伝説を観ると、私にもこんな心があったんだと思い出せることが、とても嬉しく感じました。

主題歌の『この星のどこかで』を聴くと、なぜだか意味もなく泣けてきます。


忘れていた、大事な記憶。


それを思い出すために、私はこの映画を観ているのかもしれません。



やっぱり何度観ても面白いです。のび太もティオもかっこいい。主題歌の『この星のどこかで』を聴くと泣けます。

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