こんなんおひとつ

おすすめ作品の感想と考察、時々コラム。

読まれたいのに読まれたくない自意識過剰な私へ

とてもじゃないけど「りっすん」だなんて言えない。もう20代も後半なのに、まだそんな自意識をこじらせています。

なろう系主人公が第二の人生を切り開いている令和の時代に、太宰も恥じらいで真っ赤になるような文章です。

上記の文章でも分かるように、私は「文章を書いて人に見せる、もしくは自分の考えを人に話す」ということにすごく抵抗があります。

自分語り乙の精神


私は一体、いつの時代で止まっているのでしょうか。

Twitterでは流行りのニュースについて意見を述べたり、Instagramではキラキラ写真と大量のハッシュタグが投稿されたり、TikTokでは彼氏や親友と踊ったダンスが拡散されているというのに。

それを横目で眺めながら「自分語り乙」と思ってしまう私がいます。


いつからインターネットは、チラ裏に意見を書かなくても良くなったのだろう?


そんな屈折した思いを抱えながら、いつも隣の青い芝生を眺めています。

私はこのブログを4年前に開設しました。ブログ開設時には、「もっと自分の考えや思いを綴ってやる!」と息巻いていました。

しかしここに書かれている記事のほとんどが、「作品の感想や考察」です。

書き上げた記事は私を通り抜け、いつの間にか作品たちが主役になっていることに気付きました。

もちろん作品たちには何の罪もなく、むしろその素晴らしい部分を知ってもらいたいという思いから生まれた記事ばかりです。

でもそうなってしまった一番の理由は、「自分に自信がないから」なんだと思います。

羨ましさと憧れと


「作品の素晴らしさを知ってもらいたいから」なんていうのは、ただの綺麗事です。


「みんなでシェアしてハッピー!」と自己アピールをする人たちのように、私も作品を通して自己アピールをしていたのです。


自分で書きながら、恥ずかしさで心臓が抉られるように痛いです。なぜ私は苦しみながら、ブログで懺悔をしているのだろう?

文章を読まれるということは、頭の中を覗かれることに等しい行為だと私は思います。

だから正直、今もキーボードを打つ手が震えて、心臓がバクバクと鳴っています。


自分の意見を言うのって、こんなに怖いことだったんだ。


本当は意見を言うことじゃなくて、書いても誰にも読まれなかったり、読まれて笑われたりするのが怖いだけなのです。

自分以外の者を役者として立てることで、私はなんとか、なけなしの自意識を保っていたのかもしれません。


ずっと、自分の意見を素直に言える人たちが羨ましかった。


私はあんな風にキラキラしていないからと思いながら、それでも「本当の自分をわかってくれる人」をただじっと待っていたのです。

自分でちゃんと言わなければ、そんなことは誰にも分からないのに。

迷いと決断


最近になって、ブログに「コラム」というカテゴリを作りました。

いつもは作品について語っていますが、この「コラム」は私の考えを述べるためだけの場所です。

迷いは今もずっと付きまとっています。投稿ボタンなんて押したくないし、なんならこの記事を誰にも見られたくなんかない。

もしかしたらあまりの恥ずかしさに、いつかこの記事もカテゴリごとなくなってしまうかもしれません。

しかしこの記事が投稿されていて、あなたが読めたということは、私は自分の自意識に打ち勝てたということでしょう。


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