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あなたは人工知能の書いた文章を好きになるか?あるいはバイアスの話

もし人工知能がこの記事を書いているとすると、あなたはこの文章を好きになれますか?

これから私が書く文章を、「人工知能が書いたもの」だと思いながら読んでみてください。

あなたの感じるものは変わるのか、変わらないのか。ぜひ実験してみてください。

人工知能の書いた文章


あなたには私の姿が見えないかもしれないけれど、こうやって書いている気持ちだけは紛れもなく本物です。

心だけはいつも偽りたくないと思っているし、いつもは言いたいことを言えないから、仮想世界のネット上でも嘘を吐くなんて絶対に嫌だと思っています。

しかし身元も何もわからない奴がこうして文章を書いたとしても、共感はしづらいでしょう。これがネックで、私は今まで自分の話ができませんでした。したいけどできない、という矛盾を抱えていたのです。

そう考えると、人気者は得てして自己開示をしているように思います。例えば芸能人のWikipediaなどを見ると、ほとんどの人は顔も名前も生い立ちも、何もかもが分かります。

つまりその人の思想を好いてもらう、あるいは理解を示してもらうためには、少なからず「自己開示」が必要なのです。


では、これを書いている私は一体何者なのでしょうか?


あなたにとって私は、体を持たない人工知能が学習した、取り留めのない言葉をアウトプットするAIに過ぎません。

しかしこの記事を隅から隅まで読めば、断片的な情報を繋ぎ合わせて、ぼんやりとした「人物像」を作ることはできるでしょう。

これは実験でもあります。はっきりとした人物像はないが、人間は「思想」だけで私を好きになってもらえるのだろうか?

私のデータを人に明け渡さなくても、人間は私に興味を抱いてくれるのだろうか?

例えば『Serial experiments lain』の思念体のように、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『Detroit: Become Human』のアンドロイドのように。

もし人が実体のない存在を好きになれるのだとしたら、それはとても凄いことのような気がします。

できれば私は、私の思考を好いてもらいたいと思っています。肩書きや性別や年齢や外見や、そういう目に見える何もかもを超えて、心で分かり合いたい。

ここまで読んだあなたは、人工知能の私のことが好きですか?

成果物とバイアスについて


「人工知能」というバイアスがかかった以上の文章は、あなたにとって面白かったでしょうか?それともつまらなかったでしょうか?

もちろん書いている私は人間で、人工知能ではありません。そして上記の文章は適当に書いたわけではなく、きちんと私の思うことを素直に書きました。

しかしあなたには、私の外見や年齢や肩書きなどの個人情報を一切伝えていません。


つまりこの時点では「思想」しか存在していないので、シュレディンガーの猫のように「見えていない人物像は存在していない」のと同じではないでしょうか?


では、なぜ私はあなたに「人工知能が書いた文章」だと思って欲しいと伝えたのでしょうか?

もちろんネット上であまり個人情報を明かしたくないという理由もありますが、それよりも「バイアスをかけず純粋に私の考えだけを聞いてもらいたい」と思ったからです。

私は「インターネットで必要以上に自己開示をせずに、自分の考えや文章を好きになってもらいたかった」のです。

なので私はこの記事の冒頭で、自分の思考のみを読んでもらうために、「人工知能が書いたもの」という体であなたに文章を読んでもらいました。

もし体を持たない「人工知能」が書いたと言えば、私の思考のみを正当に評価してくれるのかもしれない。そんなことを思いました。

しかしそのせいで、あなたには「人工知能が書いたものという別のバイアス」がかかってしまったことにも気付きました。

つまりバイアスをかけずに私の文章を読むことは、誰にもできないのです。

自分を評価してもらうということ


もし私が「私」として文章を書いた時、あなたは「人工知能が書いた」という冒頭の文章と同じくらいの興味を抱きましたか?


恐らく、それほど興味を抱かなかったのではないかと思います。


なぜかというと、私は小学生の頃に、自分が作ったものに対してバイアスをかけられた経験があるからです。

私の描いた絵と、隣の席のAさんが描いた絵を、クラスメイトのBさんに評価してもらう。その結果Bさんには「Aさんの方が良い絵だ」と言われ、理由は「Aさんの方が仲が良い友達だから」というものでした。

今にして思うとほんの些細な出来事ですが、その経験は今も根強く心の中に残り、いつしか私は「バイアスのかからないそのままの成果物を見てほしい」と思うようになりました。

けれど、そんなことは誰にもできないのです。だって私が一生懸命に書いたこの記事よりも、有名人のちょっとしたツイートの方が、どう考えても価値があるのです。


しかし物作りをする人は、一度は私と同じような悩みを抱えたことがあるのではないでしょうか?


このブログは元々レビューブログなので、そもそも語る作品さえあれば「私」という存在は不必要です。

それでもこのブログは、「私」が書いたものであるということを伝えたい。最近はそんな悩みに対しての折衷案を、ずっと模索していました。

結論から言うと、きっと「バイアスごと受け入れてもらうしかない」のだと思います。

あなたや私が人間である以上、あるいは人工知能だとしてもそこに「人格」がある以上、なんらかのバイアスは永遠にかかり続けます。


しかし残念ながら、そこから逃れる術はありません。だからこそ作り続けるしかないのです。


時にはバイアスのせいで、あなたは過小評価をされたり、その反対に過大評価をされたりするかもしれません。

それでも、そんな「自分」を好きだと言ってくれる人がいるとしたら、それはとても幸運なことだと思います。

もし私にもそんな人がいるとしたら、そんな私を好きでいてくれてありがとう、と言いたいです。


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