こんなんおひとつ

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何もしないこと不安症候群の現代人は「何もしない練習」をするべきか?

あなたは「何もしたくない日」に、一体何をして過ごしていますか?

矛盾しているようですが、私は「何もしたくない日」に「何もしない練習」をしていました。

なぜなら少し前にTwitterか何かで見た、「外国の老婆が家の前で何もせず椅子に座ってのんびり眺めていた」という文章を思い出したからです。

何もしない練習をする


私は暇さえあれば好きな作品について想像を巡らせたり、社会で起きている色々なことについて考えたりしています。

考えているからといって、別に社会に対して「こうするべきだ!」と声を大にして主張したりはしません。

ただ一人で答えのないことを考えるのが、心地良くて好きなだけなんです。


でもある日、急に何もしたくなりました。


だから私は、冒頭の老婆の真似をしてみようと思って、ベランダへ出て外の景色を眺めてみました。

しかし結果から言って、私は10分も外に出ていられませんでした。

子どもが走って駆けていく。家に帰るのかな?工事現場のおじさんが横切る。いつも路駐が邪魔なんだよなぁ。西日が差しこんできて眩しい。最近ますます暑くなってきたなぁ……

何もしたくないはずなのに、ずっとこんな風に「何かを考えている自分」がいたからです。


そこで初めて、何もしないことは思ったよりも退屈だということに気付きました。


何もしたくないのに、頭の中では常に何かを考えてしまう。何もしないことは、私にとって難しすぎたのです。

SNSも流行もニュースも何もかも、世間は慌ただしくて簡単には休ませてくれません。そんな情報化社会に疲れたから何もしたくないはずなのに、開いた隙間を埋めるように、つい何かをしてしまう。

それはきっと、何もしていない孤独を埋めるための行為なのかもしれません。

何もしないこと不安症候群


もしかすると現代人は、何もしないこと不安症候群なのかもしれません。

もちろんそんな病名はないですし、勝手に主語を大きくしてしまいましたが、私以外にも同じようなことを考えている人は多いのではないかと思ったのです。

きっと私は何もしてない自分が無価値に思えて、それが怖いんだと思います。

気付けば情報に縋り付いている自分がいる。こんな社会は嫌いだと言いながら、必死に嫌いになる理由を探している不毛さ。

それでも情報に溺れていないと心配で堪らなくて、置いていかれることが不安で仕方がないのです。

何もしたくないのに、ついTwitterを開いてしまう。ニュースサイトを見てしまう。思考をしてしまう。


何もしたくないはずなのに、「何かをすることへの安心感」の方が何倍も勝ってしまうのです。


ふとGoogleで、「何もしたくない」と検索している自分がいる。でも何もしたくないのに、何もしたくないとググっているのは何故なんだろう?

だから私のような現代人は、もっと「何もしない練習」をしても良いのかもしれない。

小さなスマホの画面じゃなくて、日がな一日ただ窓の外を眺めて過ごす。だから本当は、こんな記事を書いている暇なんてないはずです。

そこまで考えて、自分が本末転倒になっていることに気付きました。


何もしないことに忙しいなんて、滑稽にもほどがある。


窓の外を眺めてたって、別に何も起きやしません。TwitterやInstagramでシェアできるほどの、魔法のライフハックなんてものは微塵もありませんでした。

ただ「何もしない」だけ。そこに何かを求めること自体が、この社会に慣れすぎてしまった結果なのかもしれません。

ほんの少しでも「もしかしたら何かあるかもしれない」と思ってしまった、自分の下心が恥ずかしいです。

きっと明日の私も、スマホを見つめている。そして何もしないために、何もしないことをしようと無駄な努力をしようとしている。

だから「何もしない練習」なんて、人間はするべきじゃないのかもしれない。

自分がしたいことをするのが一番良い。でも練習をしないと、私は「何もしないことすらできない」のです。

何もしないは難しい


あの老婆は、果たして本当に「何もしないため」に椅子に座っていたのでしょうか?

もしかしたらあの老婆も、「何もしない」をするために「何もしない練習」をしていたのかもしれません。

そうやって「何もしない練習」をして10年や20年が過ぎたら、いつか私も「何もしないができるようになる」のかな。


でも「何もしない」ことって、きっと何も楽しくないんだと思います。


そういえば以前『一日一生』という本を読んで、千日回峰行というものがあることを知りました。


一日一生 愛蔵版

一日一生 愛蔵版

  • 作者:酒井雄哉
  • 発売日: 2017/04/07
  • メディア: 新書


千日回峰行は、7年間毎日30kmもの距離を歩いて参拝を続けて、最後の七日間は飲まず食わず不眠不休でお経を唱えなければならないという厳しい行です。

もしかしたら千日回峰行も、頑張って「何もしないをしようとした」結果なのかもしれません。


きっと何かをするのって楽しすぎるから、必死で振り払わないといけないんだ。


だから人間は「何もしない練習」をしないと、常に「本能で何かをしてしまう」生き物なのかもしれませんね。

現に今も寝ずにブログ記事を書いて、もう夜中の3時になってしまいました。

なぜなら、書きたくて考えたくて仕方なくなってしまったからです。私にとって考えることは、とても気持ちの良いことだからです。

本当に「何もしない」ことは難しいので、明日も少しだけ「何もしない練習」をしてみます。


……と、ここまで書いてからすごく眠たくなって、翌日の昼過ぎまで寝てしまいました。


なのでもしかしたら「何もしない」に一番良い行為は、睡眠なのかもしれないなと思いました。

「何もしない練習」をするくらいなら、しっかり好きなだけ寝る方が健康にも良いよなぁ。何もしたくなくなったら、これからは素直に寝ることにします。

現代人は「何もしない練習」をするよりも、もう少し寝る時間を増やした方が良いのかもね。


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