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おすすめ作品の感想と考察、時々コラム。

愛と正しさは呪いか?PS4『ライフイズストレンジ2』ネタバレ感想

愛されることと正しさを教わることは、呪いなのだろうか?

このゲームをクリアした今も、私にはその答えに迷っています。

ゲームのネタバレを交えて感想を書きながら、愛と正しさとは何なのかを考えたいと思います。

このゲームについて


『ライフイズストレンジ2』は、前作『ライフイズストレンジ』の続編です。


ライフ イズ ストレンジ - PS4

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私は前作を遊んでいますが、もしあなたが遊んでいなかったとしてもプレイできると思います。

前作では、時間を巻き戻すことができる少女が、「親友」か「自分たちの住む故郷」のどちらを救うかを決断するというストーリーでした。

今作では、ある兄弟が主人公です。しかしプレイヤーが操作できるのは、何の力もない兄のショーンだけです。しかし弟のダニエルには、物を自由に操ることができる超能力があります。

父親が亡くなったことをきっかけに超能力が目覚めてしまったダニエルは、大事故を巻き起こします。ダニエルの力により家や街は破壊され、駆けつけた警官も亡くなってしまいました。

その光景を目の当たりにした兄のショーンは、気絶したダニエルを抱えてその場から逃げ出してしまいます。なぜなら父親はメキシコからアメリカへの移民で、その家族である自分たちの話を警察はまともに取り合ってくれないと感じたからです。

ショーンはダニエルと共に、メキシコにある父親の故郷のプエルト・ロボスへと向かいます。楽園を夢見て、兄弟は「ここではないどこか」へ逃げようとするのです。

前作との違い


前作と比べると、今作はスケールが小さいと感じるかもしれません。しかしゲーム内で扱われるテーマは大きいです。

【ネタバレ注意】物語の構想や注目のポイントなどを聞いた「ライフ イズ ストレンジ 2」開発者インタビュー | Gamerによると、

メインテーマは家族と教育で、サブテーマは人種、信仰、障害、人生の方向性、政治的信条、性別などを理由にした「排除」


とのことです。なぜこのようなテーマを扱うのかというと、作中で兄弟が生きるために何かを選択しようとするからでしょう。

前作への不満点として、運命を決める重要な選択肢が最後にしかなかったことが挙げられます。

しかし今作ではそれが解消されているので、常に重要な決断を迫られます。好みは分かれると思いますが、個人的には今作の方がより好きです。

つまらなくてイライラする?


このゲームの感想としてよく挙がるのが、「イライラする」という意見だと思います。

なぜなら好き勝手に動き回る弟のダニエルは、プレイヤーにはどうすることもできないからです。他にもゲーム中では、まるで人生のようにどうすることもできない理不尽な障害が立ちはだかります。

このゲームは5つのエピソードから構成されていますが、それぞれのエピソードごとに環境もがらりと変わってしまいます。

そのため、「すぐに結果を出したい人」や「強くなって敵をねじ伏せたい人」や「ゲームに爽快感を求める人」にはつまらなく感じるかもしれません。


でも、だからといってこのゲームが「回りくどくてつまらない」のかというと、そうではないと思います。


私が最近プレイしたゲームで言うと、『ラストオブアス2』が好きなら『ライフイズストレンジ2』も好きと感じる人が多いのではないでしょうか。


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自分ではどうすることもできない問題に対して抗おうとしている人々を描いているという点では、上記のゲームは似ていると思います。

『ライフイズストレンジ2』では、兄のショーンが直接何かを出来るわけではありません。ですが選択肢によって、弟であるダニエルの言動が変わります。

つまり自分の小さな決断によって、状況を少しだけ変えることができるのです。感想は十人十色だと思いますが、私はこれを面白いと感じました。


私は『ライフイズストレンジ2』を、自分と他者の人生を変えることができるゲームだと思います。


家族でも友達でも動物でも、何かに働きかけたことで状況が変わったという経験があるのなら、あなたはもっとこの兄弟のことを身近に感じることができるでしょう。

でもそれには根気がいるし、結果はとても分かりづらいです。でもその分、得られるものがあるのではないかと思います。

兄弟について


ゲーム中に感じた主人公である兄弟のショーンとダニエルについて、思うことを書きます。

ダニエルの超能力


作中では、ダニエルの超能力に関する説明は全くありません。どうしてそのような力を手に入れたのかは、最後まで明かされませんでした。

でも、それでよかったと思います。なぜならこれは誰にでも起こるかもしれないことに翻弄される兄弟の話だからです。

超能力と言うと非現実的なものと感じるかもしれません。ですがそれを、「ある日突然事故で失ってしまった身体の一部」や「偶然開花してしまった才能」に言い換えたとしたらどうでしょう。

そういう風にゲーム内での超能力を「現実にも起こり得ること」に置き換えると、理解しやすいかと思います。

ショーンの人生


このゲームは、人によってプレイスタイルがかなり分かれるかと思います。

大きく二つに分けるとしたら、「ショーンの人生を大事にする」「ダニエルの人生を大事にする」かのどちらかでしょう。

私は後者だったので、中盤くらいまでショーンを操作しているのにダニエルのことばかりを考えていました。でもそんな中、エピソード3の冒頭でショーンは自分の過去を思い返します。

部屋に飾られた陸上のトロフィー、自分で描いたスケッチ、友達と行くライブのチケット、遊ぶためのスケボー用具…

まだ家族が平和に暮らしていた頃のショーンの姿を見て、私は「このままだとショーンの人生はどうなってしまうんだろう?」と思いました。

ショーンの人生は、紛れもなく彼のものです。ですがゲーム内の彼は、ダニエルのための人生を生きていました。

ダニエルは9歳ですが、ショーンもまだ16歳の子どもです。どちらも幸せにしたい、でもどうするのが二人のためなのか私には分かりませんでした。

価値観について


ゲームをプレイしていて感じた、価値観や正しさについて思うことを書きます。

自分にとっての正しさ


与えられた環境やショーンの選択肢で、弟のダニエルは外見や言動が大きく変わります。

だから私はゲーム中、常に模範的な行動を心がけていました。できるだけ盗みもせず、人を傷つけないような道を探していました。自分がそれを正しいと思っているからです。

ダニエルもそんなショーンを真似て、その通りに行動しようとします。するとダニエルは最終的に、言葉遣いが綺麗で、人を傷つけず、自分の言うことをよく聞く素直な子になりました。


でも私は、そんなダニエルが怖くもありました。


ダニエルは自分を映す鏡だと私は思います。だからこそ、私の正しさは絶対ではないのに、まるでそれが唯一の真実かのように行動するダニエルが怖いのです。

そしてそんなダニエルとは対照的に、ショーンは物語の中で目を失い、罪を重ね、自分の願いすらも抑圧します。絵を描くことが好きだったショーンは、以前のように物の立体感を捉えることも難しくなりました。

ダニエルのためを思い、自分を犠牲にしたことは果たして正しかったのだろうか?プレイしながらずっと、そんなことを思っていました。

愛と正しさの呪い


物語の終盤のエピソード4では、ショーンとダニエルの母親であるカレンが出てきます。

カレンは何年も前に子ども達を置いて家を出て行ったきり、兄弟の前に姿を見せませんでした。それなのに突然現れたカレンは、ショーンに向かって「自分の人生を歩むために家を出た」と言います。

私の価値観では、カレンのしたことは親として間違っていると思います。でも同時に、人としてはそれで良かったとも思います。


そしてカレンは、選ばなかった世界線の自分だとも思いました。


カレンは自分の母親から、とても正しい教育を受けてきたのだと思います。なぜならエピソード2で出てきたカレンの両親は、厳格で昔ながらの価値観を持った人たちだったからです。

正しいことを正しいとして、その生き方を子どもに強要する。その教育通りカレンは良い娘であり、良い母親であろうと努力しました。

でもカレンは、そんな人生に耐えられませんでした。カレンは家族を捨て、社会から切り離された「アウェイ」という場所で暮らします。そこは砂漠の真ん中で不自由な場所でしたが、自由でもありました。

ゲーム中にカレンの住むトレーラーハウスを調べると、彼女が出せなかった「両親への手紙」を読むことができます。そこには自分の本心をぐちゃぐちゃにペンで消して、両親が望むであろう正しい言葉遣いに直されている手紙がありました。

カレンはずっと、こういう風に両親から人生を塗りつぶされてきたのでしょう。カレンがメキシコ人の夫と結婚したのも、一種の反抗と憧れからくるものだったんじゃないかと思います。

でも、それでもダメだった。そもそも結婚することや子どもを持つことすらも、カレンにとっては愛と正しさの呪いだったのかもしれません。

エンディング分岐について


エンディングは大きく分けて4つに分岐します。

分岐する基準は「ダニエルの道徳性」と、「ショーンの最後の選択肢」です。

以下、簡単にですが各エンディングになる条件の説明をします。

贖罪

物語を通してダニエルの道徳性が高く、最後の選択肢で自首すると「贖罪」エンドに辿り着きます。

ダニエルは兄の自首を受け入れ、ショーンは少年院に入ります。

離別

物語を通してダニエルの道徳性が高く、最後の選択肢で国境を超えると「離別」エンドに辿り着きます。

ダニエルは国境を越えることを拒否し、ショーンは一人でメキシコに向かいます。

一匹狼

物語を通してダニエルの道徳性が低く、最後の選択肢で自首すると「一匹狼」エンドに辿り着きます。

ダニエルの暴走から兄は亡くなり、ショーン不在のまま弟は一人でメキシコに向かいます。

血を分けた兄弟

物語を通してダニエルの道徳性が低く、最後の選択肢で国境を超えると「血を分けた兄弟」エンドに辿り着きます。

ダニエルとショーンは警察を振り切り、二人でメキシコに向かいます。

二人の行方


各エンディングの違いについて、思ったことを書きます。

ショーンの居場所


各エンディングの違いとしては、「メキシコに向かったショーンは笑顔」「アメリカに残ったダニエルは笑顔」だということです。

「離別」エンドでメキシコに向かったショーンは、ダニエルに手紙と写真を送ります。その写真に写ったショーンは、何者からも自由になれたような笑顔でした。

そもそも、メキシコのプエルト・ロボスに向かうことを決めたのはショーンです。


もしかするとショーンはずっと、アメリカに自分の居場所がないと思っていたのかもしれません。


反対に、自首すると決めたショーンに待っている結末は「絶命」か「少年院」です。ショーンが生きていたとしても、15年間も少年院に入ることになります。

ショーンがプエルト・ロボスに向かうことになったきっかけは、差別と父親が亡くなったことにあります。もしかするとショーンの中では、ダニエルが超能力に目覚めたことや、母親であるカレンに捨てられたことも関係しているのかもしれません。

きっとショーンはこれまでの人生で何度も「どうして自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ」と思ったことでしょう。

故郷のアメリカなんてどうでもいい。うざったい弟なんてどうでもいい。何もかも捨ててメキシコに向かうショーンの姿は、アウェイに向かったカレンとそっくりです。

でもやっぱり、全てを捨てることはショーンにはできないと思います。ショーンは愛されて育ちました。だからショーンがメキシコに向かったとしても、いつかきっとダニエルに会いに行くのだろうと思います。


なぜなら子どもを置いていったカレンは、兄弟の元に帰ってきたからです。


カレンは窮屈な思いをしていましたが、彼女は両親から愛されて育っていました。その接し方はカレンを傷つける間違ったものだったかもしれないけど、確かに愛はあったと思います。

反対に、この物語では両親から愛されて育っていないと思われる登場人物がいます。それはエピソード3のメインキャラクターである少女キャシディ青年フィンです。

キャシディやフィンも含めて、彼らの属するキャンプにいる人達はみな倫理観を失っています。放浪の旅を続けて盗みを働き、まともな仕事もしていません。私は個人的に彼らの人となりが好きだけど、社会的に彼らが許されることはほとんどないとも思います。

愛されて育っていない彼らは、きっと二度と故郷には帰らないでしょう。そこにショーンとの違いがあるのだと思います。

プエルト・ロボスは楽園か?


各エンディングを見てもう一つ思ったことは、エピソード5で出てくるメキシコ人夫婦についてです。

メキシコ人夫婦は、自らの子どものためにメキシコからアメリカへ逃亡しようとしていました。これはアメリカから逃げようとしたショーン達と真逆の行動です。


夫婦の言葉を借りると、自分たちが向かおうとしているプエルト・ロボスは「楽園」ではなく「地獄」だったのです。


逃げて、逃げて、逃げて、その先に待ってるのは「人の理を外れた世界」でしょう。不毛の地で楽しく暮らしていたキャシディとフィンのように、そこでは人でありながらも人ではなくなるのです。

ショーンの父親であるエステバンは、メキシコの話をあまりしたがりませんでした。恐らくエステバンもメキシコ人夫婦のように、プエルト・ロボスから逃げてきたのだと思います。

エステバンがショーンとダニエルを育てるために逃げてきたプエルト・ロボスに、兄弟が逃げていくのは皮肉のようにも感じられます。

ロボスはメキシコ語でオオカミを意味します。なので作中に出てくる兄弟狼のモチーフは、恐らく絶滅危惧種のメキシコオオカミでしょう。


ja.wikipedia.org


かつてメキシコに生息していたメキシコオオカミは、家畜などを食べる獣害として駆除されて数が減ったことから絶滅危惧種として保護されています。

生きるために起こした行動のせいで迫害される。同じ生き物なのに人と共存できない姿は、行く当てのない兄弟と似ています。

贖罪の意味


私が何の情報も得ず、初めてプレイして辿り着いたエンディングは「贖罪」エンドでした。

「贖罪」エンドでのショーンは自分の罪を認めて自首することを決意し、ダニエルはそれに了承します。

それから15年後、少年院からショーンが出て来ます。迎えに来たのはダニエルとカレンでした。その後、ショーンはダニエルと共に思い出のキャンプ地に向かいます。そのキャンプは兄弟がプエルト・ロボスを目指して旅をしていた時に、初めて辿り着いた場所でした。

大人になったダニエルは、身振り手振りを使ってショーンに色々なことを話します。何を言っているかは分かりませんが、ダニエルの表情は笑顔でした。


ショーンはそんなダニエルを穏やかな顔で見ていましたが、そのあと静かに涙を流します。


彼の涙の理由は分かりませんが、ここで改めて贖罪という言葉の意味を調べます。

贖罪(しょくざい)の意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書によると、贖罪の意味は二つあります。

一つは、

自分の犯した罪や過失を償うこと


そしてもう一つは、

人類の罪を償い、救いをもたらした教義

というキリスト教用語です。

「贖罪」エンドでショーンはキリストのように犠牲になり、ダニエルに救いをもたらしました。

恐らくこのエンディングに込められたものは、どちらの意味も掛かっているのでしょう。

感想


『ライフイズストレンジ2』で描かれた物語のように、現実では多くの理不尽な問題が人生を取り巻いています。

現実世界において、大抵それらは自分の力ではどうすることもできず、すぐに結果は出ないことがほとんどでしょう。

だからといって私は「より良い世界に変えていきたい!」などと大それたことは言えません。怒りもあるにはありますが、どちらかというと諦めの感情の方が強いです。

誰だって自分の過去を変えることはできません。前作の主人公なら可能かもしれませんが、少なくともショーンや私には無理です。

そしてやり直せたとしても、その選択には犠牲が伴います。私は前作で親友のクロエを助けましたが、そのせいで故郷のアルカディア・ベイは犠牲になりました。

どちらも救うことができないのなら、「どんな選択肢を選んでも誰かのせいにしないこと」が大事なのだと思います。そうじゃないと、自分や他人を傷つけてしまうことになります。

「贖罪」エンドで泣いていたショーンは、もしかすると自分の人生に後悔したのかもしれません。

自分の選択は間違っていたのかもしれない、なんであんなことをしてしまったのだろう、と自分や他人を責めたのかもしれません。でも、それじゃあんまりです。


だから私は、ショーンの涙が喜びから流れたものであってほしいと願います。


弟のダニエルはいつも、ショーンを含めた周囲の大人たちから自分の人生をコントロールされてきました。このゲーム中にダニエル自身が選び取れるものは、ほとんどありません。

そんなダニエルが、心から笑顔になっているエンディングは「贖罪」だけです。自分が全てを託したダニエルがまっすぐに育ってくれたということだけで、私はもう十分だと思います。

ショーンが私と同じ思いなら救われるような気がします。だからきっと、そうであってほしいと願います。



ライフ イズ ストレンジ 2 - PS4

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パッケージの絵がすごくいい!兄弟が歩いているのは最初のキャンプ地周辺ですね。

ジョエルを愛したあなたへ。PS4『ラストオブアス2』ネタバレ感想

私がこのゲームをプレイしてまず思った感想は、「よくもこんな物語を作ってくれたな!」という怒りでした。

だから私はこのゲームをすぐクリアできずに、数ヶ月ほど置いていました。物語のエンディングを見届けるのが怖くて、この作品を「なかったこと」にしようとしていたのです。

今回は、そんな私がようやくこのゲームを最後までクリアして、この物語に対して改めて思ったことを書きたいと思います。

前作について


前作の『ラストオブアス』をクリアした時は、衝撃的でした。この世界には、こんなに面白いゲームがあるのかと思ったのです。


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『ラストオブアス2』は、そんな『ラストオブアス』の5年後の世界を描いた続編です。なのでプレイヤーのほとんどは、前作をプレイしていることが前提です。

前作では主人公のジョエルと、彼と一緒に旅をしていた少女のエリーに物語の焦点が当てられていました。二人はすれ違いながらも、やがて心を通わせ合い、最後に「ソルトレイクの病院」へと辿り着きます。

二人の旅の目的は、世界中に蔓延した未知の菌への抗体を持つエリーを病院まで届けることでした。そこには菌の研究をしているファイアフライという組織がいて、そこでエリーを検査し、ワクチンを作ろうとしていたからです。

だから二人は長い長い時間をかけて、ようやく病院へと辿り着きます。しかしジョエルはそにいる施設の人間を倒し、エリーを拐って逃げ出します。それはなぜか?


エリーの命と引き換えに、ワクチンが完成するからです。


だからジョエルはエリーを救い出し、施設を後にしました。

そしてジョエルはエリーに、とても残酷な嘘を吐きます。「ファイアフライは研究をやめた。施設には抗体を持った人がたくさんいた。だからお前を連れて帰った」と。

それから5年が経ち、『ラストオブアス2』の冒頭に繋がります。続編ではエリーが主人公となり、ある一人の人間に復讐を誓います。

その人間とは、5年前にジョエルが病院で手にかけてしまった医者の娘であるアビーです。そんな彼女が、この物語のもう一人の主人公となるのです。

得る物語と失う物語


続編で作品全体の評価がひっくり返ってしまうというのを、私は何度か経験しています。

なぜなら続編というのは、ほとんどが「前作と同じようなテーマ」「前作と180度違うテーマ」の2択になるからだと思います。そしてこの『ラストオブアス2』は、後者だったということです。


前作が「得る物語」なら、今作は「失う物語」なのだと私は思います。


何かを失うというのは、そもそもがネガティブなことです。失うことが大好きという人間はまれで、大多数の人が失うことを恐れているはずです。

失うのは物か、地位か、心か、はたまた人なのかは分からないけれど、それでも全く何も失わない人生などあり得ません。人は何かを得ると同時に、必ず何かを失います。

そんな、ほぼカタルシスを得られないであろう「失うこと」に焦点を当てたゲームが『ラストオブアス2』です。

だから作品の評価が賛否両論になるというのも肯けるし、最後までクリアしてみても思うのが、これは間違いなく人を選ぶ物語だということです。しかしこのゲームは、決して物語も、ゲーム面でも低クオリティではありません。

よく見かける意見が「世情を反映してシナリオがねじ曲がってしまった」というものですが、最後までプレイしてみるとそのような違和感はなかったです。けど物語の途中までは、私も強くそう思っていました。

私はクリアするまでは、この作品に対して「とてもひどいスタッフが悪意を持って作り上げたんだ!」というような、全てが憎らしくなるほどの嫌悪感を抱いていたのです。

話は変わりますが、私は普段からネガティブなテーマ性のある作品を好んでいます。私はそういうものが結構好きで、よくこのブログにも取り上げています。

参考記事

www.kotoshinoefoo.net


そのような作品の扱うテーマは暗く、重苦しく、人によっては目を背けたくなるようなものばかりです。

でも私は、人の綺麗な部分よりも醜くて汚くて辛い、目を背けたくなるような部分を見るのが好きです。なぜならそれは、往々にして「なかったこと」にされがちだからです。

しかしそれは、万人受けするものではないとも思っています。だって、わざわざそんなものを見たって、快い感情にはなりません。誰だってそんなことは分かりきってるので、あえて見る必要はない。でも、だからこそ私はそこに惹かれます。

しかしそんな後ろ向きな感情が好きな私ですら、この『ラストオブアス2』で描かれる物語は辛すぎて「なかったこと」にしようとしていました。

そして、どうしても辛くてこのゲームを投げ出しそうになった時、たまたまこの記事を読みました。

参考記事

realsound.jp


私と同じように中盤辺りで積んでしまった人は、ぜひ上記の記事を読んでみてください。きっとあなたも「最後までクリアしてみようかな」という気持ちになるかもしれません。

これから、物語の核心やラストシーンのネタバレを書きます。

失ってしまったもの


この物語の序盤では、前作の主人公であるジョエルが、この世から永遠に失われてしまいます。この喪失感といったら、言葉にすることができません。


「なぜこんなひどいことを!」「ゲームなんてただの娯楽なんだから、ここまでしなくてもいいのに!」「全てをなかったことにしてくれ!」


いつも私が思っていることと、真反対の感情を持ってしまうほどの衝撃でした。

もっと綺麗な部分を見せてほしい、嘘でもいいから幸せな部分だけを見せてほしい。そう願うほどの悲しみと辛さが襲いかかります。

そしてこれこそが、続編の主人公であるエリーが思っていることと、同じ気持ちなのかもしれません。

そして「全てをなかったことにしたい」というのは、前作の最後でジョエルの吐いた残酷な嘘と同じです。でも、そんな嘘はいつまでも続きません。

続編では、ジョエルが亡くなってしまった後に回想シーンが挿入されます。その回想では、前作から続編までの「ジョエルとエリーの思い出」が語られます。

エリーの誕生日にジョエルと二人で博物館に行ったこと、抗体がないために身近な人が亡くなってしまったこと、エリーがソルトレイクの病院で真実を知ってしまったこと、そしてジョエルにそれを問い詰めたこと…

前作で得た二人の絆が少しずつ壊れて、ぎこちなくなっていく関係が描かれます。エリーは、前作のラストで自分を助けたジョエルの行いを、どうしても許せなかったのです。

その結果、ジョエルはとても凄惨な最期を迎えます。もう一人の主人公であるアビーが、エリーの目の前でジョエルが亡くなるまでゴルフクラブで殴り続けるというものです。

そしてエリーは、アビーへ復讐するために旅に出ることを誓います。

ジョエルについて


ジョエルは前作のラストで、エリーのことよりも自分のことを優先したのだと思います。

エリーの思いや、ファイアフライの願いまでを全てなかったことにして、エリーと共に生きるという自分の幸せのために行動しました。

前作でエリーと出会う前のジョエルは、生きる目的を失った屍のようだったのではないかと思います。愛する娘のサラを失ったジョエルは、続編のエリーのように復讐心を抱くことなく、ただ一人で虚しく余生を生きているだけだったのではないでしょうか。

ジョエルは大事な人も作らず、文字通りただ生きていました。唯一彼のそばにいたテスという女性に対しても、意図的にそう思うのを避けていたのだと思います。でも、そんなジョエルの前にエリーが現れました。

だからジョエルは、エリーを守ることで「自分が自分として生きる目的」を再び見つけることができたのだと思います。

ジョエルはエリーに、サラの面影を少なからず重ねていたと思います。でもきっと、いつしかエリーをただ一人の人間として愛するようになったのでしょう。

それが分かったのは、ジョエルの死後に、彼の家に「サラの写真」と「エリーが描いた似顔絵」がそれぞれ置いてあったからです。


ジョエルはきっと、二人とも大切な家族だと思っていたのだろうと思います。


ジョエルの家に訪れたエリーが、ジョエルの似顔絵を手に取った時、私はそれに気付いて泣いてしまいました。

ジョエルの家には、彼の人となりや、趣味や好みを感じられるようなものがたくさん置いてありました。宝物のように、家のあらゆるところにそれらが置いてあったのです。

ジョエルが動物を好きだということも、木彫りをしていたということも、趣味のいい皿を飾っているということも、私は何も知らなかったのです。


恐らくきっと、エリーも初めてそのことに気づいたのではないかと思います。


一緒に暮らさず、でもお互いの存在を感じていて、ぎこちない思春期の親子のように過ごしていた二人。

エリーとプレイヤーである私は、少しでもジョエルの面影を追い求めるように旅に出ます。旅に出ている間は、いつでもジョエルはエリーの頭の中でそばにいるのです。

ゲーム中では、エリーが書いた日記を読むことができます。そこには、時々ジョエルのことを忘れそうな自分を叱咤しながら、でも目的を果たすまでは決してジョエルのことを忘れはしないという悲痛な思いが書かれています。

きっとこれは、エリーなりの気持ちの整理をつけるための行動なのかもしれません。だからこの作品は、エリーがジョエルのことを理解するための物語でもあるのだと思います。

復讐の意味


私はプレイヤーとしてゲームを進めながら、この復讐という行為には何の意味もないということをずっと感じていました。

綺麗な景色にも、新しいマップにも何の感情も湧かなくて、でもほんの少しだけワクワクしている自分に気付いて罪悪感を覚えるのです。

きっとそれはエリーも同じなのでしょう。そして前作でエリーに出会う前のジョエルも、そんな風に自分を抑えて喪に服していたのかもしれません。


なぜなら、失ってしまった者を思い出だけの存在にしたくないからです。


エリーの復讐は、きっと「ジョエルを忘れないための旅」でもあるのかもしれません。

エリーは間違いなく、自分のせいでジョエルが亡くなってしまったと感じているでしょう。なぜなら、できたばかりの恋人のディーナとうつつを抜かしている間に、ジョエルは亡くなってしまったからです。

しかし、そうやってエリーが浮かれてしまった理由は、物語の一番最後に明かされます。

続編の物語が始まる少し前の回想シーンにて、ジョエルとエリーは会話をします。そこでは、ぎこちない雰囲気の二人が描かれていました。

「お前と付き合えるなんて幸せ者だろ」
「よくそんなこと言えるね!」
「俺はただ──」
「あたしはあの病院で死ぬはずだった
生きたって証を残せたのに
それを奪ったんだよ」


エリーは、自分自身の存在を認められていなかったのかもしれません。

それはもしかすると自分が同性愛者だからなのかもしれないし、自分の抗体で誰かを救えなかったからなのかもしれません。理由どうあれ、エリーはずっと自分に対して自信がなかったのでしょう。

2022/3/13追記:最近『Take On Me』を聴いていてふと思ったんですが、エリーは同性愛者じゃなくトランスジェンダーなのかなと思いました。

なぜかというとエリーがディーナの前で『Take On Me』 をギターで弾いていたシーン(シアトル1日目の楽器店)をもう一度見返してみたら、エリーがすごくカッコよく見えたんです。ずっとディーナはバイセクシャルなのかと思ってましたが、エリーの心が男性なのだとしたらそれはもう異性愛者なのかもしれません。

だったらエリーの対になるアビーは、体が男性で心は女性なのかも…と思いましたが、この話題は少し話が逸れますね。何にせよ、エリーは自分に対して悩みを抱えていたということは変わらないと思います。(追記終了)

そして前作のラストで自分を助けたジョエルの行いも許せず、でも、それでも許したいのだという思いを吐露します。

「もしも神様がもう一度チャンスをくれたとしても…
俺はきっと同じことをする」
「わかってる
多分…一生そのことは許せないと思う
でも…許したいとは思ってる」
「それでいい」


ここでようやく、エリーは自分自身のことを認められたのではないかと思います。


そして同時に、「ジョエルのことを許したいけど許せない自分」のことも認められたのではないかと思います。


だからエリーはあんなにも、恋人ができて浮かれてたのかもしれません。こんなに素晴らしい恋人がいて、自分を理解してくれているジョエルもいる。

でも、ようやく分かり合えかけたジョエルは、その後すぐにアビーの手によって奪われてしまいました。

エリーはきっと、今までの数年間を後悔していたのだと思います。もっと早くに胸の内を話していれば、彼を許せていれば、あの時病院で自分の人生を終えていれば、ジョエルは失われずにすんだのかもしれない。

この復讐は、そんな感情がない混ぜになって、全てがアビーへの憎しみへと収束していきます。

アビーを許したくない心理


私はこのゲームをプレイしていて、アビーのことがとても憎く、そして最後まで許せませんでした。

しかしそれは、「そうでなければならない」という願いでもありました。

アビーは残虐非道な人物で、エリーの敵で、ジョエルの仇。それだけの存在であってほしいと思っていたのです。


しかし作中で描かれるアビーという人物は、ムカつくほど良い奴でした。


だから最初、私は「このゲームに説教されているのではないか?」とすら思っていました。復讐や争いなんて何も生みやしないのだと、そんな風に押し付けられる物語なのかと思ってプレイする手が止まったのです。

もちろんそれは間違った考え方ではありませんが、ジョエルを失ってしまった私にとっては、悪魔の囁きのようでした。

なんでもっと、アビーは分かりやすい悪人ではないのだろう。なぜそういう風に描いてくれないのだろう。

だからどうしても、私はそんな声に屈することなく、自らの手でアビーをこの世から葬りたいと思っていました。


でも同時に、もしかしたらこの物語のエンディングは、そうさせてはくれないのかもしれないとも思いました。


だから私は、このゲームのエンディングを見ることが怖かったです。プレイする手を進めては止めて、止めては進めて、そして何日も間を空けたこともありました。

まるであの郊外の家で、全てを忘れて幸せな生活していたエリーのように、私はこの物語を「なかったこと」にしようとしていたのです。

でもダメでした。どうしても、ふとした日常生活の中でジョエルが亡くなる瞬間を思い出してしまうからです。

だからエリーが、ディーナ達と暮らしていた幸せな生活の中でジョエルの最期を思い出して取り乱した時、思わず一緒に泣いてしまいました。


エリーとどんどん気持ちが一つになって、彼女の言動の全てがわかるような気がしたのです。


だからもう一度復讐を決意したエリーのように、私もこのゲームを終わらせないといけない。ただそれだけの気持ちで、クリアまで画面の前に向かっていました。

そんなエリーが最後の最後でアビーを手にかけようとした時、ジョエルの姿を思い出します。

ギターを抱えて、穏やかな顔でこちらを見るジョエルを思い出したエリーは、涙を流しながらこう言います。

もう行って
あの子と一緒に


エリーがそう言った時、私も一緒に泣きながらアビー達を見送りました。

自分はもう何もかも失ってしまったのに、アビーは大切な人であるレブと共に、ボートに乗って海の向こうに消えていきます。

そんな彼女達が行ってしまってホッとしてる自分もいたし、同時にやるせなさも感じていました。

アビーを許せない、でも許したい。アビーの全てが憎らしいのに、彼女の良いところにも気がついてしまう。


でも、ジョエルは「それでいい」と言いました。


私は、ジョエルを奪ったアビーのことを許せないです。けど、許したいとも思います。これは、かつてのエリーと同じです。

ディーナがエリーに言ったように、人は簡単に「憎しみを手放せ」と言いますが、実際はそんなわけにはいきません。

傷つけられた心の痛みは一生胸に残り続けるし、許せるはずがありません。どうしたってジョエルはもう帰ってこないのです。

あの少し不器用で、でも優しかったジョエルは、もう思い出の中でしか会えません。

最後まで希望はないのか?


この復讐の旅で、エリーは様々なものを失いました。

父親のような存在であったジョエルも、恋人のディーナも、友人のジェシーも、ギターを弾くための左手の薬指と小指も、帰る場所さえも。


でも同時に「失ったものを、これからまた取り返す物語でもあるのかもしれない」とも思います。


それはこの物語の最後まで描かれなかったけど、一つだけ示唆されていた言葉があります。

闇の中にいる時こそ光を探せ


これは、アビーが父親から教えられた言葉です。

前作でジョエルはサラを失いましたが、その後、何十年も経ってからエリーと出会えました。それは、ジョエルがエリーと出会うまで生きていたからです。

この物語でエリーは失ってばかりで、最後まで何も得るものはありませんでした。でも、彼女はこれから何かを得ていくのだろうとも思います。

あんたがあたしの仲間!
いい?戦って二人で生き延びるの


アビーは、姉を失ってしまったレブにこう言いました。それはまるで、前作のジョエルがエリーに「何があっても戦う目的を見つけなきゃダメなんだ」と言ったように。

そしてアビーもまた、父親や友人達を失ってしまった後に、レブと出会いました。

生きていれば、光は見つかるのかもしれない。でも、生きることをやめてしまったら暗闇のままです。

この物語からは、果たして本当に何も得ることができなかったのでしょうか?エリーは最後まで、全てを失い続けたのでしょうか?


これはエリーが、暗闇から抜け出すための物語なのかもしれません。


そういう意味ではこの物語は必要だったし、あってくれて良かったとも思います。悲しみの後には喜びがあると、そう信じて生き抜く人のための物語なのだから。


「このゲームが嫌われても構わない」『The Last of Us Part II』制作陣、野心的な企み語る | THE RIVERという記事で、この物語の脚本家はこう言いました。

エリーとして生きて、彼女の葛藤と夢に共感してください


その言葉通りプレイ中、私は間違いなくエリーでした。かつてジョエルを愛していた、ただ一人の少女だったのです。

そして同時に、私はエリーでもあり、アビーでもありました。エリーを通して描かれたことは、鏡のようにアビーのことも映し出しているからです。

この二人は、もしも全然違う風に出会っていればいい友達になれたのかもしれないと、どうしようもないけどそんなことを思います。でもきっと、永遠にそんな瞬間は訪れません。


でも、ボートに乗るアビーを見送ることで、私はエリーのことも見送っていたのです。


私は、こんなにも心がぐちゃぐちゃになるゲームをプレイしたのは、生まれて初めてのことでした。


クリアしたかったし、クリアしたくなかった。とても良かったし、とても良くなかった。


それくらい自分がジョエルのことを愛していたのに驚いたし、もしかするとそんなエリーに感化されてしまっただけなのかもしれません。

どちらにせよ、こんなにも登場人物たちの気持ちとシンクロする経験は、もう二度とないでしょう。このような感情を間接的に教えてくれたエリーやジョエルやアビーは、私にとって特別な存在だと思います。

私はジョエルを失わせてしまったこのゲームのことを許せないけど、それでも許したいと思います。でも、それでいいのです。それでいい。ジョエルが最後に教えてくれた、とても素晴らしい言葉だと思います。

エリーは物語の最後に、ジョエルのギターを置いて旅立ちました。この瞬間、エリーは「ジョエルの娘」としてではなく「エリー自身」の人生を歩み始めることができたのでしょう。

この5年間、エリーはジョエルのために生かされていました。最後の最後でようやく、エリーは彼から自立することができたのかもしれません。

追記:未来を託すこと

英語の勉強をしようと思ってなんとなく『ラストオブアス2』に出てきた曲を調べてたら、ジョエルが最後にギターで弾いていたのは『Helplessly Hoping』という曲だということが分かりました。

日本語では「どうしようもない望み」と訳します。自分の存在が彼女を苦しめているけど、それでも彼女と共にありたいと願う歌。パーティーの夜にエリーを庇って拒絶されたジョエルは、一体どんな思いでこの曲を弾いてたんだろう?この曲を聴きながらそんなことを考えます。

そんなジョエルが最初にエリーにギターを教えてくれたのは『Future Days』という曲で、自分たちの未来を願う明るい歌でした。

ジョエルはエリーを救うことで自分の運命が呪われてしまうということを分かっていても、それでも彼女の人生を守ったのだと思います。


だから19歳になったエリーはギターも弾けるし、恋もできていました。


ただ、そのジョエルの行動を愛と呼ぶには、あまりにも独りよがりなのかもしれない。ジョエルはそんなどうしようもない望みを、一人でずっと抱え込んでいたんでしょうね。

でも最後にジョエルのそんな姿を思い出したエリーは、海でアビーに手を掛けることをやめました。アビーが劇場でエリーに手を掛けることをやめたのと同じように。

ゲーム内で描かれたアビーをそっくりそのままエリーの立場に置き換えると、また彼女への感じ方が変わってきます。アビーはジョエルを失った後のエリーそのものだから。父を亡くした悪夢を今でも見続け、仲間にもうやめろと言われてもやめることができない悲しい少女。


アビーの父はアビーを含めたこれからこの世界を生きていくであろう人類に未来を託したかったはずだし、ジョエルもまたエリーに未来を託したかったのだと思います。


前作『ラストオブアス』でパンデミックが起きたのは、(サラを操作する時に見ることができるジョエル家の壁に貼ってあったカレンダーから推測するに)2013年9月でした。

そしてパール・ジャムが最新ライヴで新曲「Lightning Bolt」「Future Days」を初披露 - amassの記事によると、『Future Days』が新曲として発表されたのは2013年7月です。

恐らくジョエルの記憶の中で一番新しく、それでいて希望に満ちた曲がこの『Future Days』だったんでしょうね。

2013年10月にアルバムに収録されるはずだった『Future Days』は、もうジョエルの記憶の中にしか残っていません。だからきっと、ジョエルはこの曲をエリーに伝えたかったのかもしれない。

そういえば最近クリアしたライフ イズ ストレンジ 2 - PS4というゲームの「贖罪」エンディングを見て、同じようなことを思いました。


www.kotoshinoefoo.net


人の一生は、何かを成し遂げるにはあまりにも短すぎると思います。だからみんな誰かに希望を託すんじゃないかな。改めてそう感じました。




私はスペシャルエディションを買いました。50pほどのミニ設定資料集が付いてきます。パッケージで描かれているエリーの反対側では、きっとアビーも同じ表情をしているんでしょうね。


ラストオブアス2の画集です。前作の画集ジ・アート・オブ The Last of Us (G-NOVELS)と併せて、ようやく日本語版が出ました。背景のイメージボードやキャラの初期案などが載っています。

初心者が簡単に『クトゥルフ神話TRPG』を遊ぶ3つのコツとやり方

ここ数ヶ月の間に『クトゥルフ神話TRPG』というゲームにハマりました。

今回は、何度かキーパー(進行役)としてプレイした際のコツや簡単な用語説明などを書いています。ちなみにこの記事は初心者キーパー向けですが、プレイヤーも読んで大丈夫です。

先日これらを意識しながら友人と遊んだら盛り上がったので、クトゥルフ神話TRPGに興味がある方やこれから始めようとしている初心者の方は、もしよかったら以下の内容を参考にしてみてくださいね。

クトゥルフ神話TRPGとは?

クトゥルフ神話TRPGとは、簡単に言うとホラーゲームです。怖くて強い神話上の怪物と戦ったり、怪物から逃げるために謎を解いたりします。

TRPGとはテーブルトーク・ロールプレイングの略です。基本的には、ゲームを進行役するキーパーと、ゲームを遊ぶプレイヤーが一緒にゲームを遊びます。

その際、プレイヤーは自分が作ったキャラクターの演技を行います。これをロールプレイといいます。

キーパーとプレイヤーは、ゲーム中に話し合いながら協力して物語を遊んでいきます。これをセッションといいます。つまりキーパーはプレイヤーの敵ではなく、基本的には味方として存在しています。

さらにクトゥルフ神話TRPGでは、怖い出来事があった時などに正気度(SAN値)が減るのが特徴です。ちなみに、クトゥルフ神話以外のTRPGもあります。

誰とやればいいの?


端的に言うと、初めてクトゥルフ神話TRPGを遊ぶのなら家族や友人とやるのが一番良いかと思います。

私もいきなり初対面の人とやるのは怖かったので、まずは家族に頼んで遊んでもらい、そのあと友人に遊んでもらいました。

ですがクトゥルフ神話TRPGは一般的なゲームと比べてあまり知名度が高いとは言えないので、周囲にルールを知っている人や遊んでいる人はいませんでした。


なのでクトゥルフ神話TRPGを遊びたいのなら「まずは自分が率先してキーパーをやり、身近な人にプレイヤーとしての楽しさを布教する」ことが大事なのだと思います。


自分がキーパーだと、家族や友人がルールを知らなくても教えるのはそれほど苦ではないですし、きっとプレイヤー側も安心して遊べるでしょう。

それでも人が集まらないのなら、ある程度ルールを理解してからSNSなどで仲間を募るという方法もあります。どちらにせよルールを理解するに越したことはないと思います。

そしてルールを理解するためは、「ルールブックを手に入れること」が重要です。ということで、まずは簡単にルールブックについての説明をします。

ルールブックについて


クトゥルフ神話TRPGを遊ぶには、とにかくルールブックが必要です。逆にルールブックさえあれば、すぐにでも遊べます。

さて、ルールブックは大まかに分けて「旧版」「新版」「スタートセット」の3種類があります。

スタートセット


まずは公式サイトからクイックスタート・ルールを無料ダウンロードして、読んでみることをオススメします。

このクイックスタート・ルールはスタートセットにも載っているので、本として手元に置いておきたい方はこちらを購入するのが良いでしょう。

どちらにせよ、クイックスタート・ルールは新版のルールが簡略化されたものです。なのでまずは一度目を通してみて、雰囲気を掴んでみるのが良いかと思います。

私はクイックスタート・ルールで何度か遊んでから、新版の新クトゥルフ神話TRPG ルールブック (ログインテーブルトークRPGシリーズ)を買いました。

当たり前ですがクイックスタート・ルールは簡単だけど内容が削られているので、ガッツリ遊ぶつもりなら最初から新版を買った方がコスパが良いのかもしれません。

ちなみに新版には旧版との互換性もあるので、悩んだなら最新のルールブックを買うと良いのではないでしょうか。

ルールは暗記するの?


ルールを理解する必要はあっても、暗記する必要は全くないと思います。

なぜならルールは「ゲーム進行に必要な手がかり」というだけであって、絶対に抗えない縛りではないからです。

例えばゲーム中に、キーパーが想定していなかった行動をプレイヤーが取りたいとします。


そんな時、ルールブックがあれば「その場合はルールに則ってこういう風に対処しよう!」と処理することができます。


プレイヤーは自分の要望を上手く伝えるために、そしてキーパーはゲームを円滑に進行するためにも、ルールブックは存在しているのではないでしょうか。

しかもぶっちゃけプレイヤー全員がしっかりとルールを把握していなくても、身内だけで遊ぶのならキーパーがプレイ中に説明すれば遊べなくはないです。

ただしそれだとキーパーの負担がかなり大きくなるので、キーパーの気持ち的には「プレイヤー側もルールブックをしっかり読んで!」と詰め寄りたくなりますが、まずはグッと堪えましょう。


もし自分が友達に誘われて「ちょっと興味あるかも…」となっているところに「ルール覚えろ!」とグイグイ来られるとかなり怖いかと思います。


ということで、「まずは自分がキーパーになってルールを把握し、初心者プレイヤーに教える」という心構えでいた方が楽なのではないでしょうか。

それで相手がハマってくれたのなら改めてルールブックを買ってもらい、そうでなければその相手とはTRPGで遊ぶのをやめて、また別の誰かを誘えばいいのです。

まずは人数を集めて、一人でも「TRPGって楽しい!」と思ってもらうことが重要だと私は思います。

簡単な用語説明


最初からルールを全て覚えるのは無理なので、まずはざっくりと用語の説明をします。

大体の用語を覚えてからルールブックを読み、徐々に詳細を覚えていくのが良いかと思います。

ロールプレイとは

ロールプレイとは、正確にはキャラクターになりきることではなく「キャラクターの役割を演じる」ということです。

もちろん、なりきりたいのならそれで構いませんが、初心者プレイヤーはどうしても恥ずかしさや難しさの方が勝ってしまうかと思います。

なので無理になりきる必要はなく、例えば脱出系のゲームなら「閉じ込められてしまった一般人」を意識して行動するだけでいいのです。

セッションとは

セッションとは、ざっくり言うと「キーパーとプレイヤーの意見を擦り合わせる」ことです。

キーパーがゲーム中の状況を伝え、それを受けてプレイヤーがどう行動するかをセッションで決めます。

例えば「机の上に本がある」とキーパーが伝えた場合、プレイヤーは本を読んでもいいし、読まなくてもいいのです。

ダイスロールとは

ダイスロールとはその名の通り「ダイスを振ること」です。プレイヤーは基本的にどんな行動でもできますが、中には技能(スキルのようなもの)を必要とする場合もあります。

ダイスロールの出目により、技能が成功したか・失敗したかを決めます。例えば成功で何らかの情報を得られるというメリットもありますが、失敗で何も情報が得られないなどのデメリットもあります。

また、ダメージ計算などもダイスロールで行います。わざわざ実際にダイスを用意しなくても、後述のwebツールにて簡単にダイスが使えます。

キャラクリエイトとは

キャラクリエイトとは、ゲーム前に「プレイヤーが動かすキャラクターを作る作業」です。

ちなみに友人はキャラクリエイトに悩んでいたので、こちらが事前に作っておいた職業や技能などを使ってもらいました。

あとキャラの名前はすごい名前生成器を使い、ステータスはキャラシート作成でランダムに振りました。

初心者プレイヤーと遊ぶ時は、ある程度キーパー側でテンプレ的なキャラを用意していた方がグダグダにならずに済むのかもしれません。

使用ツールとは

遊ぶ際にはTRPG用のツールがあると便利です。例えば、ツールを利用してゲーム中に背景を出すと臨場感が増しますし、ダイスロール等の管理も楽になります。

私の場合は、ライン通話をしながらTRPGスタジオを利用しました。チャット形式で画面上のキャラを喋らせるので、形式としては「テキストセッション+ボイスセッション」になるかと思います。

TRPG用ツールはココフォリアユドナリウムなどいくつか種類がありますが、私は公式HPを見て直感的に分かりやすいと感じたTRPGスタジオを選びました。


実際に遊んでみた結果、TRPGスタジオはとても使いやすく、デザインもノベルゲーム風でオススメです。


また、TRPGスタジオには「キャラクターの立ち絵」と「背景」の公式素材があるので、何も準備せずともある程度は形になります。

余力があれば、事前に「使用するアイテムの画像」や「BGMと効果音」なども用意していた方が楽しいかと思います。BGMが1つあるだけで雰囲気も出やすいです。

ちなみに私はMusMus「メザメ」というBGM素材を使いました。謎解きっぽさが出てめちゃくちゃオススメです。

シナリオとは

シナリオとは、ゲームの核となる物語のことです。シナリオはルールブックに載っているものもあれば、ネット上で有志が公開しているものもあります。

私の場合は、pixivにて公開されている『ロッカー』というシナリオで遊びました。


2021.3.1追記:現在『ロッカー』は非公開になっているようです。なのでシナリオ選びに迷った方は、クイックスタートに掲載されている『悪霊の家』というシナリオを遊んでみるのもアリかと思います。ちなみに私が初めてキーパーをしたシナリオは『悪霊の家』でしたが、遊んでいて「これはどう処理すればいいんだ?」と悩みました。初心者には少し難しいシナリオかもしれませんが、基本的なルールは総ざらいできるかと思います。(追記終了)


余力があれば、自分でシナリオを見つけてみるのも楽しいです。私は主にPixivシナーチで探しています。

シナリオの使い方

私の場合はシナリオをそのまま使わずに、一度パソコンのメモ帳にコピペしてから使いました。

いきなりぶっつけ本番で遊ぶのではなく、まずはシナリオ全体に目を通してから詳細を随時メモに書き込んでいくという方式です。

例えば自分が分からない箇所をルールブック片手に一つずつ潰していくと、スムーズにキーパーができます。

最終的に出来上がったメモをTRPGスタジオの「シナリオ機能」に張り付けると、簡単にコピペした文章をチャットで表示させられるのでオススメです。

キーパーへ3つのコツ


ゲームを始める前に私がプレイヤー側に話したことは、以下の3点です。

・ざっくりルール説明をする
・ツールの使い方を説明する
・プレイ時間を伝える

この3点さえ押さておければ、本番でも焦らずに済むかと思います。では、以下で1つずつ詳細を説明していきます。

ざっくりルール説明


まず、プレイヤーへは事前にクイックスタートのデータを送り、「読めたら軽く目を通してみてね」と言いました。

さらに併せて解説動画も送り、これも「時間があればこっちも見てみてね」と伝えました。

解説動画

www.youtube.com


その結果、ゲーム開始時までにプレイヤーの1人は「クイックスタートをさらっと読んだが難しかった」と言い、もう1人のプレイヤーは「解説動画を見たけど難しかった」と言っていました。

もし万が一、プレイヤーがクイックスタートや動画を事前に見ていなかったとしても、とりあえずはそれでいいのです。


とにかく「プレイヤーのやる気を削がず、できるだけ興味を持ってもらうこと」が第一の目標です。


そして私の場合は、ゲーム開始前にパワポで簡単なスライドを準備しました。この記事に貼ってある1~7の画像が実際に使用したものです。身内用なら許可なくこの画像を使っても大丈夫です。

もちろんわざわざプレゼンをやらなくても良いのですが、初心者プレイヤーにはゲーム前に簡単なルール説明をしてあげるのがベストかと思います。

クトゥルフ神話TRPGのルールはとても複雑で一見よく分かりません。だからこそキーパーがしっかりルールを理解して説明をすることで、初心者プレイヤーにも受け入れてもらえるようにする下地作りが必要でしょう。


クトゥルフ神話TRPGを布教するためには「相手をもてなすことや協力しようとする気持ち」が何より大事だと私は思います。


ちなみに私はスライドを使って約10分くらいルール説明をしました。 手短に説明することで、プレイヤーにできるだけ「想像より簡単そう!」と思ってもらった方がいいかと思います。

ツールの使い方を説明


プレイヤー側には事前に、「TRPGスタジオをTwitterアカウントで登録しておいてね」とだけ伝えておきました。

元々TRPGスタジオはプレイヤーの操作がとても簡単なので、そこまで説明する必要はないかと思います。もしも心配なら、以下のリンクから利用方法を読んでみてください。

参考記事

trpg.fanbox.cc


プレイヤー側がTRPGスタジオでやることは「入室後にキャラを配置し、状況に合わせてセリフをチャットする」だけです。これを伝えればプレイヤーはさらに安心し、よりゲームに集中してもらえるでしょう。

ちなみにスマホでのプレイも可能です。キーパーがスマホ操作だとちょっとキツいかもしれませんが、プレイヤー側なら問題ないかと思います。私の友達はiPadでプレイしてました。

プレイ時間を伝える


プレイヤーには、事前にプレイにかかる時間を伝えた方が良いでしょう。

私の場合は、まず「2〜3時間かそれ以上かかる可能性があるけど大丈夫?」と伝えて了承をもらいました。

実際は説明とキャラクリエイトに1時間半、プレイに2時間半くらいの合計4時間かかったので、伝える際はもう少し余裕を持たせてもいいかもしれません。

失敗談として、私の妹には何も伝えずいきなりクトゥルフ神話TRPGをやろうと伝えたら、キャラクリエイトの時点で「まだ?長くない?」と言われました。

なのでプレイヤー側には、前もって予想時間を伝えて心の準備をしてもらうのがベストかと思います。

プレイ時の進行方法


事前準備はできたとして、では実際にプレイする時はどうすればいいのかを説明します。

この時点でキーパーは事前にコピペしたシナリオを貼り付け、プレイヤー側はキャラを画面上に配置できているかと思います。できていなければ、まずそれを行ってください。

プレイヤーを誘導する


まずは、キーパーはゲームの導入文をチャットで流してください。そして導入が終わったら、プレイヤーに行動を促してみてください。

例えば今回のシナリオだと、「ロッカーを調べることもできるし、部屋を調べることもできるけどどうする?」と伝えました。


キーパーは全部を丸投げしてプレイヤーに行動を任せるのではなく、ある程度の選択肢を与えると上手くいくかと思います。


失敗談として、私の妹はゲームの途中で次にキャラが何をしたらいいのか分からない状態になってしまいました。

そうすると私もキーパーとしてどこまで言っていいのか悩み、お互いに黙り込んでしまいましたが、そういう時こそヒントを出してあげる方がいいかと思います。

「そこまでやるとプレイヤーはつまらないのでは?」と思いましたが、意外にもそうはなりませんでした。

以下の記事でも「プレイヤーが黙るのは情報が足りてないから」だというようなことが書いてありました。


2021.11.30追記:参考記事がリンク切れになってました。キーパーはプレイヤーに適切な情報を与えよう、というような内容でした。(追記終了)


なのでキーパーはさり気なく次の行動を促したり、ノンプレイヤーキャラクターにヒントを喋らせるなどした方が良いかと思います。

ロールプレイのやり方


どこまでロールプレイをしてもらうかの線引きですが、私の場合は「キャラが喋るところ」だけをプレイヤーに任せました。

具体的に言うと、「通話上ではプレイヤー同士の会話は素で、チャット上のみロールプレイをしてもらう」ということです。

初心者プレイヤーに全てをロールプレイしてもらうのは難易度が高いので、まずは通話でセッションをします。そしてキャラの行動方針が固まったら、改めてチャットでロールプレイをしてもらう形が良いかと思います。

シナリオが破綻しなければ、プレイヤーにはある程度自由にロールプレイしてもらいます。そうなるとキーパーが想定していなかった行動なども起こるので楽しいです。

ただし、何でもかんでもOKするのではなく「ここまではできる」という線引きをしておいた方がやりやすいです。これ以上は収拾がつかなくなると思ったら、遠慮せずにキーパー側からNGを出しましょう。

ダイスロールのやり方


まず、ダイスロールは1D100のように表記されます。これは「前者の回数ダイスを振り、後者の面のダイスを使う」という意味です。つまり100面ダイスを1回振るということですね。

よく使うダイスロールの種類は、大まかに分けて2つあります。

・SANチェック
・技能ロール

では、以下でそれぞれのダイスロールについて説明します。

SANチェックについて

SANチェックとは、怖い出来事が起こった際に行うダイスロールのことです。SAN値は正気度なので、恐怖すると減る可能性があります。

SANチェックのやり方ですが、まずは1D100でダイスロールします。出目が「現在のSAN値以下なら成功、そうでなければ失敗」です。

減ってしまうSAN値の量は固定ではありません。例えば「0/1D3の正気度が減る」とシナリオに書かれている場合、「成功で前者の数値、失敗で後者の数値」が減ります。1D3なら3面ダイスを1回振るということですね。

技能ロールについて

技能ロールとは、技能の使用に成功したかを判定する際に行うダイスロールです。1D100でダイスロールして「使いたい技能の成功率以下の出目で成功、そうでなければ失敗」になります。

例えば<鍵開け>の技能で引き出しの鍵を開けたいのなら、成功すると開きます。反対に失敗すると開きません。

ちなみに新版(第7版)のルールブックを使用する場合、技能ロールは失敗した際にプッシュ(再挑戦)もできます。ただしプッシュに失敗すると、キーパーの裁量で「悪い結果」が起こります。

おすすめ動画


ゲームを進行する際にお手本になるのが、自分以外のキーパーやプレイヤーです。

他の人たちはどのようにセッションしているのかを見ると参考になります。いくつか見た動画の中でオススメのものを以下で紹介します。

【クトゥルフ神話TRPG】手足がなくなっていく話 第一話【だるま駅】

www.youtube.com

実はめっちゃ面白いクトゥルフ神話TRPG

www.youtube.com


動画を見ることで「こんな感じにやればいいんだ」と思えます。あと普通に見てて面白いです。

ただし動画によっては、旧版のルールハウスルールなどを適用している場合もあるので注意しましょう。

あと、動画やこの記事はあくまで独自のやり方なので、どちらも参考程度にとどめておくのが良いかと思います。

キーパーやプレイヤーが変われば、やり方は十人十色です。あまり他者のやり方をこれが正解だと決めつけない方が、実際に遊んでいて柔軟に対応できます。

逆に言うと身内だけでやるのなら、ある程度はキーパーがやりやすいようにルールを変えてしまうのもアリなのではないでしょうか。

プレイ後の感想


遊んでみた結果、プレイヤーからは「楽しかった!」と言ってもらえたし、キーパーとしても上手くいったのではないかと思います。

友達に「今度はキーパーもやってみようか?」と提案されたのはとても嬉しかったので、準備は大変だったけど頑張ってよかったなと思います。

これから初めてキーパーをする人は大変かと思いますが、きっと準備すればするだけ自分もプレイヤーもラクになるしその分楽しくなるはずです。


もしたくさん準備したのに上手くいかなかったら、相手がクトゥルフ神話TRPGに興味を抱けなかっただけのことです。


そういうことを防ぐためにも、キーパーは事前にしっかり準備したり、プレイヤーがクトゥルフ神話TRPGに興味がありそうかを見極める必要があると思います。

自分がプレイヤーの場合は、逆もまたしかりでしょう。どちらか一方が悪いわけではありません。なぜなら、ゲームは一人ではできないからです。

最悪、スライドを使ってプレゼンしても相手の食いつきが悪かったらその場で解散しても良いでしょう。お互いの時間を無駄にするくらいならその方がマシです。

私も妹とやった時はめちゃくちゃグダったので途中でやめて、その後一緒にAPEXで遊びました。ゲームはただの手段でしかないので、もっとそのメンバーで楽しめることが他にあるかもしれません。

クトゥルフ神話TRPGにこだわる必要はないですが、できることならみんなで楽しくクトゥルフ神話TRPGを遊びたいですよね。だからこそ、この記事がそんなあなたの手助けになればいいなと思います。

追記:友人に布教してみた結果


あれから他の友人にも布教してみたのですが、そこで分かったのは当たり前だけど「どれだけクトゥルフ神話TRPGを布教しても興味を持たない人もいる」ということです。


・リプレイ動画だけ見たことがある
・聞いたことあるし何だか面白そう
・聞いたことあるけどルールが複雑そう
・全く知らないし聞いたこともない


下に行くほど布教する難易度が高いです。特に「クトゥルフを知らないし、TRPGがどんなものなのかも知らない」という人は布教しても全く手応えがないという結果でした。

具体的に言うと上2つに該当する友人は一緒に遊んでくれましたが、下2つに該当する友人には断られてしまいました。

なのでクトゥルフ神話TRPGを友人らと一緒に遊ぶときは、相手がどのレベルでクトゥルフ神話TRPGに興味を持っているかを事前に確認しておくと良いかもしれませんね。

しかし何より大事なのは「たとえ断られても相手を尊重する気持ち」なのだと思います。相手に興味がなさそうなら、潔く引くことも大事だなと改めて思いました。

もしくはすでにルールを知っている人を探して一緒に遊ぶのも、場合によっては必要でしょう。ちなみにTwitterでプレイヤーの募集を探すと、「旧版ルールブック・ココフォリア・ディスコード」を使っている人が多い印象でした。

あと、やっぱりクトゥルフ神話TRPGはTVゲームと比べると難しいし手間がかかる遊びなんだと思います。間違いなく人を選ぶゲームだし、みんながみんな楽しめるものではないでしょう。

しかしTVゲームよりは自由度が高いし、ハマればめちゃくちゃ楽しいゲームだとも思っています。もちろん自由というのは何をしても良いというわけではなく、遊ぶ人たちに少しだけ余白が残されているという意味です。

さらに追記:TRPGの難しさ


ここ2年ほどクトゥルフ神話TRPGを含めた色々なTRPGを遊んできましたが、その中でも特にクトゥルフ神話TRPGで遊ぶのは難しいなと感じています。

具体的に言うと、ゲーム中に「この後どうしたらいいの?」となることが多かったです。少なくとも私と友人はそうなりがちでした。

ですがその難しさはルールの複雑さではなく、アメリカと日本の文化の違いから来るものではないか?と思うようになりました。

そもそもクトゥルフ神話TRPGはアメリカのケイオシアム社が作ったゲームだし、クトゥルフ神話を生み出したラヴクラフトもアメリカ人です。しかも舞台は1920年代のアメリカなので、日本人にピンと来るわけがありません。


相手に自分の意見をハッキリ伝える文化がある国と、そうでない国との自己表現に差があるのはどうしようもありません。


どちらが良い悪いではありませんが、つまりここにクトゥルフ神話TRPGの難しさがあるのではないかと私は考えています。

ところで1920年代のアメリカを理解するために華麗なるギャツビー(字幕版)という映画を見ましたが、なかなか面白かったし参考になりました。プライムビデオにあるので興味のある方はぜひ!


華麗なるギャツビー(字幕版)

華麗なるギャツビー(字幕版)

  • レオナルド・ディカプリオ
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なんだかんだ書いてますが、結局TRPGはコミュニケーションのゲームだと思います。自分はどうしたいのか、一緒に遊ぶ人はどうしたいと思っているのか。100%自分の意見が通るということは、ゲーム以外の場面でも絶対にあり得ません。

ゲームのプレイスタイルもそうでしょう。ガチガチに戦闘を楽しみたい人、キャラクターの活躍に重きを置きたい人、ヒリつくような恐怖を味わいたい人…色んな人がいます。

自分の好みを押し付けるのではなく、みんなが満足できるような場を作ることが重要なのではないでしょうか。

もっと追記:コズミックホラーとは


クトゥルフ神話をもっと知りたくて、ラヴクラフトが書いた小説を青空文庫で読んだら難解すぎて詰みました。

そんな時に新訳クトゥルー神話コレクションシリーズを読んだらめちゃくちゃ読みやすくて面白かったので紹介しておきます!



1巻はクトゥルフと海がテーマです。おどろおどろしい雰囲気そのままに、文章中の補足なども書いてあって分かりやすかったです。

ちなみに私は、収録作の中で『インスマスを覆う影』が一番不気味で好きです。『神殿』もロマンと狂気があって面白かったな。

きっとラヴクラフトが描きたかったのは、未知なるものへの畏敬なんじゃないかなと思います。怖いけど、どうしようもなく惹かれてしまう何かがある。

あとインスマス繋がりで言えば、『ダゴン』というホラー映画も観ましたがこれも面白かった!


DAGON ダゴン(字幕版)

DAGON ダゴン(字幕版)

  • エズラ・ゴッデン
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コズミックホラーってなんだ?と思っている方は、ぜひこれらの作品に触れてみてください。きっとその片鱗がうかがえます。



新版のルールブックです。420ページ以上もあるので分厚いですが、ソフトカバーで読みやすいです。基本的なルールから銃の種類まで様々な資料が大量にあるので、読むだけでワクワクします。


クイックスタート・ルールが載っているルールブックです。一人で遊べる入門用のソロシナリオや、キーパーに必要な情報がまとめられているキーパースクリーンも付いてきます。


公式から出ているダイスセットです。ちょっとお高いですが必要なダイスが全て揃っているし、何より雰囲気がとても良い!箱がダイストレーにもなるのでオフラインセッションでは重宝しています。


ちなみに私が簡単に遊べて面白いなと思ったTRPGはフィアスコです。TRPG初心者でもめちゃくちゃ盛り上がるのでオススメです!

2000年代のネットとゲームの関係性。PS2『SIREN』発売当時の思い出と感想

「好きなゲームのタイトルは?」と聞かれたら、私はまず間違いなく『SIREN』を挙げるでしょう。

もうすぐ発売から20周年を迎えるSIRENシリーズですが、令和の時代になった今でもカルト的な人気があるように感じています。

今回は、私が初めて『SIREN』をプレイした2000年代の思い出を語りながら、改めてSIRENシリーズの魅力について考えてみたいと思います。

作り込まれた世界観


かつてSIRENシリーズの公式HPにあった、めちゃくちゃ怖いフラッシュゲームをご存知の方はいますか?


youtu.be


もうサイトは残ってないので、気になる方は上記の動画をご覧ください。今見返してもめちゃくちゃ怖いです。

私がSIRENシリーズと出会ったのは、2006年のことでした。タイトルには『SIREN』発売当時の思い出とありますが、無印の発売は2003年なので正確には『SIREN2』発売時ですね。


SIREN2

SIREN2

  • ソニー・インタラクティブエンタテインメント
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その頃の私は中学生だか高校生だかで、ゲームの最新情報を得るには「TVCM・店頭・友達からの口コミ」だけが頼りでした。まだSNSも活発ではなく、個人サイトやTVメディアが全盛期の時代です。

そんな中、家電量販店のゲームコーナーに陳列されていた『SIREN2』と、その隣に置いてあったゲーム紹介用のリーフレットを読んだのが、SIRENシリーズとの出会いのきっかけでした。


2020.06.27追記:

探したらリーフレット見つかりました!リーフレットの下にあるのは映画版SIRENのフライヤーです。ちなみにリーフレットの中には、綴じ込みで「アトランティス増刊号」という架空のオカルト雑誌風記事が載ってました。凝りすぎでは?(追記ここまで)


そんなこんなで購入した『SIREN2』とリーフレットを手に、家に帰って早速SIRENシリーズについて調べます。


そこで知ったのは、SIRENシリーズの奥深さと、異様なほどに作り込まれた世界観でした。


ゲーム中で得られる100個のアーカイブはもちろんのことですが、冒頭のフラッシュゲームを見ても分かるように、ゲーム以外の要素の完成度も高すぎるのです。

公式サイトに掲載された外伝小説や、登場人物が書き込んだ掲示板のログ、さらには作中に出てくる都市伝説の紹介ページ、挙げ句の果てには劇中に出てくる村のライブカメラ配信など…

とにかくSIRENシリーズは、公式から得られる情報が半端ないのです。

そしてさらには、個人サイト上での口コミからの情報量もとてつもなく多かった気がします。どこかの掲示板で「こんなのあったぞ!」と書き込まれてはそれを見に行き、誰かの考察を読んでは唸る…そんな日々が続きました。

ちなみに当時、好きでよく見ていたのはサイレンの部屋という個人考察サイトです。その節はどうもお世話になりました。

高難易度のホラーゲーム


順調にSIRENシリーズについて興味が湧いたところで、自然と前作の『SIREN(無印)』にも興味を持つようになり、すぐにこちらも購入しました。


SIREN

SIREN

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ちなみに私はホラーが好きでそれなりに得意なので、『SIREN2』を遊んだ時もそこまで怖いとは感じませんでした。だから無印も大丈夫だろうと高を括っていたのです。


しかし無印プレイ開始後、あまりの恐怖にコントローラーを持つ手が震え出し、最初のステージをクリアするまで30分以上かかりました。


いきなり画面に現れる「駐在警官からの逃亡」の文字、頼りない懐中電灯の光だけで暗闇に放り出される心細さ、背後から聞こえる銃声、訳もわからず逃げ込んだプレハブ小屋にやってきた警官とのドアチェイス…

高難易度にも様々な種類がありますが、パッと思いつくのは難易度選択でしょう。実際、『SIREN2』にもハードモードはありました。

ですが無印には難易度選択は存在ぜず、画面上には体力ゲージ等のユーザーインターフェースもなく、マップの現在地は表示されません。つまりゲーム内の登場人物とプレイヤーの条件がほぼ同じなのです。

少し話が逸れますが、この無印と雰囲気がよく似ているゲームに『ルールオブローズ』が挙げられると個人的に思っています。


RULE of ROSE

RULE of ROSE

  • ソニー・インタラクティブエンタテインメント
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世界観とストーリーの良さは、無印と並ぶほどの名作だと感じています。惜しむらくは『ルールオブローズ』は、操作性の悪さからゆえの高難易度になっているのが唯一の欠点ではないでしょうか。

『ルールオブローズ』も好きなのでこのように作品を比較したくはないのですが、無印は意図的に高難易度を設定しているという点が素晴らしいのではないかと思います。

これは無印の設定資料集であるSIREN MANIACS(サイレン マニアックス)-サイレン公式完全解析本- (The PlayStation2 BOOKS)にも、制作時のテーマとして「ドルアーガの塔のようなものを作りたい」と書いてあります。

難しいゲームを皆で協力しながらクリアする。そのために無印は絶妙なバランスの難易度になっているので、プレイへの没入感が半端ないのです。

個人攻略サイトの利用


当時は今のようにSNSも動画サイトも賑わっていなかったので、攻略となると個人サイトが主でした。

当然ながら個人が運営するサイトなので、現在よくあるゲーム系wikiのように情報は網羅されてはいません。今では考えられませんが、サイトごとに切れ切れに綴られたhtmlページの海をさまよいながら、毎日に攻略を集めていました。

ビッシリと文字だけで書かれたもの、手描きのペイントイラストで丁寧に地図が貼られてるもの…そんな闇鍋のような攻略ページを見ながらクリアを目指します。

しかし攻略を見たからといって簡単にクリアできるわけではありません。とてもじゃないけど怖くて難しく、一人ではクリアできそうにない。そんな時こそ、個人サイトの存在が有り難かったです。


サイトによって攻略方法が違うのは、皆がそれぞれ考えて、努力した証拠だからです。


誰かが同じように必死にクリアしたんだと思うと、自分ももう少しだけ頑張ってみようという気にもなります。

印刷したサイトのページは攻略本のように分厚くなり、自分で新たに補足を書き込み、紙が擦り切れるほど読み返しながらプレイした結果、1ヶ月かけてクリアすることができました。

後になって思い返すと受験よりも努力していたような気がします。それほどまでの入れ込み具合でした。

ゲーム以上の体験


最終的にはプレイする手の震えも収まり、平常心で無印を遊べるようになりました。

恐怖心が失われて少々物足りなさを感じてはいましたが、それでも一年くらいはずっと無印を遊んでいた記憶があります。

ゲーム自体も楽しかったのですが、それよりも劇中の世界(羽生蛇村)にずっと浸っていたかったのかもしれません。


その度に、自分が本当に羽生蛇村の棚田や廃屋や学校にいるような気がして、それがとてもドキドキしたのを覚えています。


それから廃墟にも興味を持つようになり、マニアックスにも載っていた廃墟の歩き方 探索編という本を買って読んだりもしました。

大人になってから廃墟で有名な軍艦島や、摩耶観光ホテルにも行ったりもしました。もちろん正規のツアー見学です。確実に『SIREN』という作品は、私の人生において強い影響がありました。

『SIREN』といえば毎年8月にTwitterで異界入りするのが名物ですが、それはきっと皆が今でも当時の体験を求めているからなのかもしれません。

手に汗握る感覚だったり、仲間と騒いだりする楽しさだったり、ああだこうだと議論したりする時間だったり…

きっとそれぞれが、8月3日になるとそれぞれの『SIREN』を思い出しているのだと思います。以前開催されたSIREN展にも行きましたが、当時を思い出してとても懐かしかったです。

そういえば「こんなにもSIRENが怖くて面白いのは思い出補正かもしれない」と思って久々に無印をプレイしたら、やっぱり普通に怖くて面白かったです。

流石にもう手は震えませんが、どれだけルートを覚えてもどれだけやり込んでも、やっぱり屍人が目の前にいると恐怖を感じます。

一気にクリアしようと思ったのですが、精神力が保たなくて途中で止まってしまいました。こんなゲームはきっと他にないです。


十数年以上経った今もなお、記憶をなくしてもう一度プレイしたいと願います。


でもうっすらと、もうこんなゲームを体験できるのは二度と無理なんじゃないかとも思っています。

まだ見ぬ新作を夢見て


今の時代に、もう一度『SIREN』のような怖さを体験できるゲームがあるのでしょうか?

ずっとそう考えていたのですが、私は最近『SIREN』によく似た面白いゲームを遊びました。そのタイトルは、『SEKIRO』です。


SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE - PS4

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE - PS4

  • フロムソフトウェア
Amazon


奇しくも同じく死にゲーで、Sから始まるローマ字タイトルです。『SEKIRO』はホラーではありませんが、緊張感や難易度のバランスがとても『SIREN』と似ていると思います。

ネット社会のこのご時世ですから、『SEKIRO』にはたくさんの攻略サイトや攻略動画が存在しています。


しかし『SEKIRO』もまた、『SIREN』のように簡単にクリアすることではきません。だからこその楽しさと面白さが、そこにはあります。


できることなら、またそんな風にSIRENシリーズの新作をプレイしてみたいです。

『SIREN』のリメイク作である『SIREN NT』も面白かったけど、私はより難しく、より怖いものを求めています。


SIREN: New Translation - PS3

SIREN: New Translation - PS3

  • ソニー・インタラクティブエンタテインメント
Amazon


本当に本当に『SIREN3』をずっと待ってるんです!

私はいつまでも、これからも、SIRENシリーズの新作を待ち続けています。



SIREN PlayStation 2 the Best

SIREN PlayStation 2 the Best

  • ソニー・インタラクティブエンタテインメント
Amazon
私は当時PS2のベスト盤を書いましたが、PS2アーカイブスもあるようですね。実機がない方はぜひアーカイブスでプレイしてみてください。


設定資料集です。登場人物の行動フローチャートが見たくて時々読み返します。外伝小説である羽生蛇村異聞も読むことができます。

90年代の話はこちら

www.kotoshinoefoo.net

これは純愛であって、純愛の物語ではない。ゲーム『沙耶の唄』ネタバレ感想

なんとなしにAmazonミュージックで曲を聴いていたら、偶然いとうかなこさんの『ガラスのくつ』があるのを見つけました。

いとうかなこさんといえば『STEINS;GATE』などのテーマソングでおなじみの歌手ですが、この『ガラスのくつ』は『沙耶の唄』というゲームのED曲です。



そんな『ガラスのくつ』を聴いていると懐かしくなって、久々にベスト盤の『沙耶の唄』を引っ張り出してプレイしてみました。

今回は、そんな『沙耶の唄』の感想を書きたいと思います。

これは純愛の物語なのか?


「ニトロプラスのゲームで虚淵玄さんの脚本だよ」という言葉で、大方その内容の想像がつく人も多いのではないかと思います。

『沙耶の唄』はクトゥルフ神話などをモチーフにしたいわゆる鬱ゲーなのですが、同時に純愛を描いた作品であるとも言われています。


しかし残念なことに、私はこの作品の主人公とヒロインの恋愛に対して全く感情移入できませんでした。


だからといってクソゲーなのかというと、そうではありません。これは純愛の物語ではないけど、間違いなく純愛が描かれてあります。

一見すると矛盾しているように思えるこの感覚こそが、『沙耶の唄』を純愛たらしめる作品になっているのです。

この物語は、主人公である郁紀(ふみのり)が「臓物や肉塊にまみれた場所でおぞましい化け物たちと会話する」というシーンから始まります。

まずその時点で、普通の人間には理解不能な光景です。しかしこの訳のわからない状況こそが、郁紀の置かれた環境そのものなのです。

物語の始まる3ヶ月前、郁紀は交通事故に遭いました。一緒に車に乗っていた両親は即死、そして郁紀もまた危篤状態に陥ります。


そんな郁紀を救ったのは最先端の医療でしたが、彼は一命を取り留めた代わりに「五感」の全てを失います。


汚らしい風景、耳をつんざく音、腐った臭い、吐き気を催す味、気持ち悪い触覚…全部が異常で狂った世界。それが郁紀のいる場所でした。

郁紀を取り巻く世界は一瞬にして崩れ去ります。学校も友達も家も、何もかもが以前と変わらずそこにあるのに、郁紀にとっては何もないどころかそれ以下の存在になってしまったのです。

そんな中、郁紀の前にヒロインである沙耶(さや)が現れます。この世界の中で、沙耶だけが「人の形」をしていました。


つまり人間が化け物に見える郁紀にとって、人間に見える沙耶は化け物です。


当然のように、郁紀は沙耶を愛します。そして沙耶もまた、郁紀を愛します。

「手を……握らせてもらえないだろうか」

「変な人。そんなこと言い出したの、あなたが初めて」


郁紀の願いを聞いた沙耶は、そう答えました。

誰からも恐れられ、育ての親を亡くした、忌むべき化け物の少女。もしかすると彼女もまた、郁紀と同じく孤独だったのかもしれない。

そこまで考えて、ようやくこの二人に対して親近感が持てるようになります。しかし純愛とは、本来こういうものなのではないでしょうか。

他者を介入しない(もしくはさせない)あなたと私の二人だけの世界こそが、純愛なのかもしれません。

二人だけの世界


私は『月光の囁き』や『ナナとカオル』のような作品が好きなのですが、それらもまさしく「純愛」をテーマにしているのだと思います。


www.kotoshinoefoo.net
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しかし上記の作品における愛情表現は、普通ではなくアブノーマルです。彼らはそんな手法でしか愛を確かめることができません。

それらは『沙耶の唄』における郁紀と沙耶のように、誰からも理解されることのない愛です。

しかし私は『月光の囁き』や『ナナとカオル』の主人公たちに対しては、感情移入して物語を楽しむことができました。なぜなら私は、彼らに自分を重ねることができたからです。

ではどうして、郁紀と沙耶には感情移入することができなかったのでしょうか?


それは、郁紀と沙耶が「人ならざる存在」だったからです。


私は人間なので、どうしても心の底から二人の恋路を応援することができませんでした。

むしろ二人に恋人を食べられてしまった郁紀の親友の耕司(こうじ)や、地球外生命体である沙耶を葬りたいと願う郁紀の主治医の丹保(たんぼ)のように、一刻も早くこの世界から消えてくれとすら思いました。

しかし反対に、それだけ完璧な二人だけの世界が描かれているのだとも言えます。

だからこそ郁紀の理解者はこの世で沙耶だけだし、沙耶の理解者もまた郁紀だけなのです。そこに人間であるプレイヤーが介入することはできません。

3つのエンディング


このゲームにおけるEDは3つあります。分岐が2回しかないので、とても分かりやすいです。

「郁紀が人間性を取り戻し沙耶と別れる」病院ED。
「郁紀と沙耶が亡くなり世界は救われる」耕司ED。
「世界が郁紀と沙耶のために作り変えられてしまう」開花ED。

この中の開花EDは、「郁紀と沙耶に肩入れする」と見ることができます。


つまり二人にとってのハッピーエンドは開花EDなのですが、このEDは人間から見るとバッドエンドです。


物語のラストに背中から羽が開花した沙耶は、地球上に無数の二人の子どもたちを降らせます。

ゲーム画面(郁紀)で見るとその光景は世にも美しい光景ですが、この世界に生き残った人間(丹保)からするとかなりグロテスクな光景でしょう。

おぞましい肉で覆われた街や、次々と化け物に変異する人々の姿は、まるでバイオハザードやサイレントヒルのようです。

プレイヤーである私は、このEDを感動的なものとはとても思えませんでした。むしろ怖かったです。しかし、恐らくこの感情を持つことは正しいのでしょう。

ここでパッケージ裏をもう一度見返してみます。するとそこには、

サスペンスホラーアドベンチャーゲーム


と書いてあります。

そうです。これは純愛アドベンチャーゲームではなく、あくまでサスペンスホラーアドベンチャーゲームなのです。

それなのにこの物語は、人間ではなく「人ならざるものたち」に焦点を当てています。バイオで例えるとゾンビが主役の物語です。

仮にこの物語の主人公が耕司なら、私はきっと心の底から開花EDに対して絶望する(ホラーを楽しむ)ことができたでしょう。でも私はこのEDを見て、中途半端にしか絶望できませんでした。


なぜならゲーム全体を通して、二人の愛をこれでもかというほど見せつけられてきたからです。


病院EDは、「郁紀が人間らしさを取り戻す」と見ることができます。しかし郁紀は、もう普通の人間ではありません。彼は精神異常者として真っ白な病室に閉じ込められてしまいます。

郁紀が人間に戻ることで、郁紀にとっての沙耶は化け物になってしまいました。しかしそれでも郁紀は沙耶を「愛している」と言います。

耕司EDは、「耕司(人間)に肩入れする」と見ることができます。ここでは「郁紀へと手を伸ばそうとする化け物(沙耶)に耕司がとどめを刺す姿」が描かれます。言い換えると、愛し合う二人が価値観の違う者(プレイヤー)に存在を抹消されるのです。

ちなみに私は無意識の内に「耕司EDがハッピーエンドだろう」と思っていたのですが、最後に耕司は精神に異常をきたしてしまいました。

二人の愛を否定したいのに、否定しきれない。だからこそ矛盾しているのに、彼らを切り捨てられないのかもしれません。

まるで真実を知り、病んでしまった耕司のように。

排他的な関係


二人の愛を突き詰めるということは、きっと「それ以外の他者との関係を断つ」ということなのでしょう。

もちろん社会的に考えてそれは不可能で、だからこそ大抵の人は世界と折り合いをつけて生きていくのだと思います。


でも、もしもその世界には敵しかいない状況だとしたら?


現在はこうしてネットで世界中の人と価値観を共有できる時代ですが、それでもやっぱり人は孤独を感じるのではないでしょうか。

そんな中で、たった一人でも自分を理解してくれる人がいたら。自分を受け入れてくれる人がいたら。


自分たちとは反対の価値観を持った人間を、とても疎ましく感じるのかもしれません。


自分とは正反対のものを好きで、それを愛し、それを大切に思う人間がいるのだとしたら、彼らは自分を脅かす存在にもなり得るのです。

それが多数派であればあるほど、きっとそれらの価値観に押し潰されてしまいそうになるのでしょう。

私は人間である以上、今後も郁紀と沙耶のことが理解できないのだと思います。それでも彼らの愛について想像することはできます。

何だかんだ言って私はこの作品がとても好きだし、またいつか忘れた頃にプレイするのだと思います。

そしてその度に私は、郁紀と沙耶について考えてしまうのでしょう。

個人的な感想


思い出補正もあるかもしれませんが、私はこの『沙耶の唄』のように2000年前後に作られたビジュアルノベルゲームが好きです。

このブログではそんなゲームをいくつか紹介していますが、実はこれ系のゲーム記事は更新することを躊躇ってしまう気持ちもあります。


なぜならこのブログにはグーグルアドセンスの広告を貼っていて、内容によっては広告が制限される恐れがあるからです。


実際にこのブログでは、いくつかの記事の広告配信を停止しています。好きなことを書いてるだけじゃ、お金にならないのです。

私は単に趣味でブログをやってるので、広告の配信を停止されても「あちゃ〜」と思う程度で済みますが、もしこれで食べてる人がいるとしたら大打撃でしょう。

それこそ『沙耶の唄』のようなゲームを市場に流通させるような立場なら、私のように「あちゃ〜」では済まされません。

すると、表現の幅は少しずつ狭くなっていくのだと思います。ウケるものや、もしくは求められるものを追い求めていく。しかしそうして出来上がるものは、やがて少しずつ自分が描きたかったものとはかけ離れていくのでしょう。

個人的に『沙耶の唄』は、多くの人から愛され、支持される作品ではないと思っています。でも、私はこの作品がとても好きです。

市場にこういうものがある。それだけで私はとても嬉しく思います。それが「仕事」として作られたものでも、妥協や折衷案の末に生まれたものであっても。

私はこの記事が広告配信を停止されないように、気をつけて文章を書いています。もしかしたら『沙耶の唄』のような作品も、同じようなことをしていたんじゃないかなと思っています。

それはまるで、やりたいことのために抜け道を探し当てたような感覚なのだろうなと思います。もちろん、あくまで想像でしかないのですが。


「売れるかどうか分からないニッチなゲームを作ること」と「1円にもならないかもしれない記事を書くこと」は、少し似ているような気がします。


私は今後もこのようなゲームを遊び続けたいし、このブログで感想を言いたいです。

『沙耶の唄』が好きだと、鬱ゲーや電波ゲーが好きだと、暗く悲惨でどうしようもない物語が好きだと、もっと遊びたいと。

そして願わくば、このような趣味嗜好がメジャーなものになりますようにと、これからもギリギリの範囲で言い続けたいです。


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